最近はちょいちょい電車に乗ることあって、その電車の中吊広告だったり、壁にある広告をみるのが日課になっているんですけど、一番見て嫌な気持ちと印象に残ったのが、さすがに写メとれなかったですけど、ある広告の訴えたいメッセージは「いじめ」でした。
小学校6年間でいじめにあわないですむ子の割合が一割しかないこと。 これを見て喜ぶ親と悲しむ親、悲しむ子供、今も苦しんでいる子供。
僕もある理由で一時期ですけど、いじめにあっていた気がします。 そこまで心に傷を負わなかったですけど、今思えばあれは結構ないじめだったかなぁぁって思い出します。 僕は小学生4年生までは母子家庭で、お父さんがいなくて、それをよくネタに「お父さんがいないくせに・・・ 」 とか 「なんでおまえんち 親父いないんだよ~」 だから仲間ハズレ~~とか、なんか 殴られたり。
小学生の時はよく母親にそんなこと言われるんだけど。 ってよく愚痴をこぼしてた記憶があります。 でも母親の言葉一つで、自信っていうか、なんとなくふっきれたっていうか、そんな転機があった気がします。 母親に言われたのは、「父親がいなくて誰に迷惑かけてるの?」 「人に迷惑かけていないんだったらいいじゃない?」
「その子達が父親になってくれたり、探してくれるわけじゃないんだから。」
なぜか、次の日から力がみなぎってそんなまた軽いノリで僕をいじめてくる子達をこの日から殴り返した記憶があります。 ものは言い様で、その時僕が殴った事で、いじめはなくなりましたが、それをまたいじめと 捉えられたら、それはそれでいじめというものになってしまう気がします。 これは真似しろとは言えませんね。 今だから言えることで、人それぞれ乗り越え方があると思います。 あのプロボクサーの内藤大輔選手もいじめがきっかけで、ボクシングをやるようになって、世界チャンピオンになってから昔のいじめっ子におまえを倒すためにボクシングを始めたと告白したそうです。 内心は過去のいじめがだいぶ恐くて言う時内心諤諤だったそうですけど、本人に面といえた事でそれ以来乗り越えれたそうです。
最近もとても悲惨ないじめの実態があるようで、教師も加担していたり、知らん振りしてたり、学校側は因果関係を調べ切れなかったり、うやむやにすること、してしまうこと、そしてそこに人一人の命が関係したいじめがあるなら尚更 因果関係を調べきれない実態があると思います。 どんな事件の記者会見をみても、うちの学校でまさか そんなことがあるとは・・・・とか 気づかなかった・・・・うちのクラスに限って・・・ 記者会見をしていくら涙を流しても それは誰の心に訴えかけるものにはならず、そんなことをしても誰も帰ってこない。
今日も群馬県で一人の小学生が命を絶ちました。 彼女は作文にも心が傷ついていて学期が楽しくなかったとも書いています。 親は全面的に学校を信頼して学校に子供達を送り出しています。 送り出してから家に帰ってくるまで学校側には責任があると思います。 僕も学校にバスケットを教えに行くことが日課になっているので、バスケを通して人としてのあり方、向き合い方、人との関わり方、教えていければといつも思っています。
どんな世界も上に立つ人次第で、良くも悪くも色が出ますから。 人を指導すること、ただ教えればいいのではなく、自分自身の言動、立ち振る舞い、人としての質が全てその子達に伝わるということ。 恐さを持って情熱を持ち、その子達に向き合っていかないと子供達のエネルギーは大人を凌ぐものがありますから。 エネルギーにはそのエネルギー以上の力と熱で立ち向かわないと、たちまちエネルギーの強い方に負けてしまいますからね。
テレビで取り上げられるような先生や指導者は、必ず教え子たちよりも 向き合っている人達よりも 言い表せられないくらいの情熱と愛情を兼ね備えているのが伺えます。 人に夢を与える、導くこと、それはとてもエネルギーが必要な事。 僕は、教師という職には就けませんが、分野は違えど指導することは同じだと思うので、違った角度から僕は僕なりのお手伝いをしていきたいと思います。
生きたくても生きれなかった人がたくさん居る中で、自ら命を絶つ事を選択してしまう儚さ。 どうしても自殺だけは受け入れたくないし、いつまでも受け入れたくないので、そんな少しでも命を大切に楽しんでくれる子供達を育てて生きたいと思いました。
子供が涙を流すより笑顔で大笑いしている顔が一番素敵ですからね。