その時どんなに理解されずにどんなことを思われようとも、何を言われようとも、時がたって理解できる時に理解されたらそれで良いと思う。 自分勝手といくら言われようとも、自分にしか出来ないことを自分にしか理解出来ないことは、自分にしかやり通せないもの。
どれだけ何を言われてもただそれを遣り通し、遣り抜き、そして形に出来て、結果として残せたら。
結果を必ず、どれだけ時間がかかろうとも、必ず理解される時が来るはずだから。 自分にしか自分の苦労もわからず、自分にしか理解出来ない事は人に理解を求める事ではなく、苦しさや辛さも共感を求めるものでもなく、黙々と自分が目標としているものだから、人は関係ない。 どれだけやっている。 これだけやっている。 それはどれだけやろうが、個人個人で変わるもの。 おれはこんだけやっている、人よりも~~とかはどうでもいい。 どんなことをしていようが、それもどうでもいい。 評価されるくらい頭角を現して、評価されるくらい初めて人の注意を惹く。 それが、ようやく結果というものに結びつき、それがいつの間にか努力が実り、報われたと称される。
人を羨み、人を妬み、人を嫉み、人を憎しみ、人の粗を探すより、人に微笑み、人に拍手を送り、人に感謝し、人の良さを知り、人の有難味を知り、人の心地よさ、気持ちよさを知り、人の優しさを知り、人と手を握る。 いつの間にか、人の心を掴み、人に微笑まれ、人に拍手され、人に感謝され、人に良さを知られ、人にありがとうと言われ、人に心地よく思われ、人に優しさを知られ、人に手を握られる。
人にされたいことは、自分がされて嬉しいこと。 人を動かしたければ、全ては自分から動く事。 自分のアクションが必ずリアクションを生む。 リアクションが起きないのは、見当違いだったり、驕り高ぶり、横柄な態度をもしかしたら人の目にはそう映っているのかもしれない。
純粋で汚れのない、素直な気持ちで、常に自分の気持ちに忠実に動く自分であれ。