共感こそこの世に生まれた喜び
と、思ってるところがあります。
今日ね、いつかこれを分かってくれる人がいたらなあと三十年くらい思ってたことがあっさり叶ってしまい、もう人生十分だと思いました。
わたしは幼稚園に行っていないので
幼少期、友達みたいな存在は一人か二人しかおらず、大して好きでもないその子に嫌われたら友達がゼロになってしまう、という焦りから
よく貢ぎ物をしていました。
自分が欲しかったノートとかペンとか、欲しかったものほどあげて胡麻擂りをしていました。聖書の教えで、自分にしてほしいことを人にもしなさいというのがあるので影響されてやっていたのだと思います。
このこほんとにずるい人間だなあ、なんて思いながらプレゼントをしていました笑
五歳のときには既に聖書が伝えたいことはこういうことでは?なんて思っていましたし
漢字も読めるようになるのが早くて、小学校に入ったとき、敬語も使えない子供たちに驚きました。
今思えば敬語なんか完璧に喋れる六歳がおかしいのです。
そんなこんなで、子供が怖くて仕方ありませんでした。コロコロ気が変わるし、距離感が近いし、もう他人がどうしてここまで近くにいるの?っていつもドキドキしていました。
前習えのときは、こぶしひとつぶんを完璧な長さで空けねばと息を止めて目で測っていました笑
決まった時間に同じことをみんなとやらないといけないなんて恐怖でしかない集団生活、
こんな簡単なことをどうしてわざわざやらないといけないのか理解できない授業時間。
空ばかり見ていました笑
目に入れるものは美しいものがいい、教室のなかにはないから 空ばかり。
あの趣味の悪い緑色の黒板、あんな濃い色のものを視界に入れるなんて息が詰まる
机や椅子の冷たさも大嫌い
固くて当たると痛いし、いじわるな感じでいっぱいの教室。
飛んでいきた~い!!いつも思ってました。
帰り一人になると馬の王国の女王さまになって白い馬達と大地を駆け巡る想像ばかりして、
わあーーなんて楽しいんだー!って盛り上がってくると夢のない近所の材木屋の前まで着いていて、マインドを現実に戻して玄関のドアを開けていました。
幼少期の世界は完全なるグレー たまに光が射す程度。
美しいものってどこにあるんだろう?
誰も分かってくれないし
早くこの町を出なきゃ人生は始まらないと感じていました。
あのときのわたしに、今日嬉しかったことを伝えたい。じゅーーん!生きててー!ほんとに生きてるだけでいいからー!!温存して~笑
小学校なんか行かなくてもぜんぜん大丈夫です。
1/3くらいも行ってません笑
なんとでもなります。
純