奇妙なシナリオで長く続いている

単発ドラマシリーズの中に

いつまでも忘れられないドラマがある

それは「きのうこうえん」という

人気女優さんが主役のドラマだ

 

主役は友達を不慮の事故で失う

失意の中迎えた翌日

事故の前に2人でいた公園に行くと

時間が事故前に戻っているのだ

そのことを確信した主役は

その事故を未然に防ごうとする

でも事故現場で友達を救っても

結局どこかで別の事故が起きてしまう

そして翌日公園でまた事故前に戻る

主役はこうして何度も

友達を助けるために奔走するが

結局何をしても事故は起きてしまう

重ねるごとに事故も大きくなり

とうとう友達の家族を巻き込む形で

友達の家が大爆発する

翌日 公園でまた事故前の友達と会う

主役は疲れ切っている

結局運命は変えられないと知るのだ

 

このドラマがね 忘れられない

何か大事なメッセージがある気がして

 

私の運命が大きく変化する時

すごく嫌なことが起きることが

多い気がしている

 

きっと神様がいつも

そっちじゃないよ!って優しく

導いてくれているんだろうけど

私が鈍感で全く気づかなくて

どうにもこうにもならなくなって

ドカンと爆発するような事件を起こして

私を目覚めさせているんじゃないのか

そう思えてならない

 

これが文頭の

運命を変えようとすればするほど

事故が大きくなるドラマに似ている

 

少し前に思い出したのだけど

長男を妊娠していた時に

そんな経験をした

 

3歳上の長女を助産院で産んだ私は

息子も助産院で産みたかったけど

その間に転居しており

元の助産院は遠くて無理だった

 

そこで地元で探したのだが

長女を産んだ助産院のように

規模の大きなところはなく

あるこぢんまりとした助産院が

これまでと違って静かな雰囲気で

新鮮な気持ちでそこに決めた

 

当時は助産院で産む条件として

ある週数(安定期?)までは

産婦人科で検診を受ける必要があった

二つの産院から選べたので

近所の人から評判の良い産婦人科にした

とても良いと話を聞いていたのだ

 

18年ほど前で記憶も朧げだけど

安定期までは産婦人科で定期的に

検診を受けていたので

問題なく快適に通院していたように思う

 

その後は助産院での検診だったが

いよいよ出産予定日が近づく34週ごろ?

産婦人科に最終の検診に行った

 

その時の医師の態度は以前と明らかに違った

そこの検診はいつも混んでいるのだが

私の番はどんどん後回しにされる

やっと診察室に入ったものの

医師は私の方を一瞥もしなかった

どうせ助産院で産むのだから関係ない

という態度に私は大きなショックを受けた

 

私はまだ誰もがいい人と信じていた頃で

そんな冷遇にあうとは夢にも思わず

大の大人が泣きながら帰った

 

泣きながら思った

もしも何かあって助産院で産めない時

私はあの産婦人科で産まなきゃいけないの?

それは、無理だ!

 

長女はトラブルなく39週で産まれたので

本来ならトラブルが起こることなんて

それほど心配しないはずなのだけど

なぜかそう思ったら居ても立っても居られず

私は助産師さんに連絡をした

もう一つの産院に変えるためだ

 

指定されたもう一つは大学病院だった

なんとなく敷居が高い存在だったけど

背に腹はかえられず、万が一のために転院した

 

転院先の大学病院で

検診を担当した男性の先生は優しかった

私は転院の訳を話したのだろうと思う

先生は検診結果に問題がないことを伝えて

「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」

と送り出してくれた

涙が出るほどうれしかった

 

そして なんと数日後

そこに戻ることになろうとは

 

ある夜遅く突然破水した

まだ正期産に入っていなかった

あっ、て思った時には水がこぼれ

初めてのことに足がガクガクした

確か長女はもう寝ていた

そこに酔っ払いの夫が帰ってきた

本当に有り得ない、小学生みたいな夫

妻が身重でも飲んで帰ることが多かった

 

俺運転できないなぁ、と夫

今なら怒りが込み上げるところだが

まだ若かった私はただ動揺した

1時間かけて親に来てもらう余裕はない

私は困って助産師さんに電話した

 

助産師さんは事情を聞いて

「今破水してしまうと残念だけど

 助産院で産むことはできないのよ

 でもご主人は運転できないし

 長女ちゃんを1人にできないから

 私が病院までついていきましょうか?」

 

ありがたいご提案に私は救われて

タクシーでまず助産院まで行き

助産師さんと一緒に大学病院へ向かった

 

大学病院で検診してくれた先生が

「もう帰ってきたんですね」

とおっしゃって笑ってくれた

 

あの時を振り返ると

元の産婦人科で嫌な思いをしなかったら

大学病院に行くことがなかったんだよね

自分が切迫早産になると全く思ってなかった

きっと神様が全てわかっていて

そこじゃないよ!気がついて!と

全然気づかない私にドカンとしてくれた

気がついて本当に良かったと思っている

 

大学病院での入院、出産は

とてつもなく幸せな時間だった

過去ブログに書いた通り

私は切迫早産で入院となったのだが

息子は

張り止めの点滴を突き抜け陣痛を起こした

一般病室で陣痛に耐え続けることとなり

あっという間に全開大となって

ストンと産まれてきた(感覚笑)ので

医療行為を受けることもなかったし

お産も産後も軽かった思い出

息子は早産だし小さく産まれたが

元気だったので保育器は1日だけだった

助産院で産む予定だったからと

まだ小さすぎる息子だったけど

一緒に退院させてもらえた

楽しかったなぁっていう思い出だ

 

その幸せな思い出があったので

次女を妊娠した時にも

即大学病院で産むことに決めたほどだ

 

運命を変える素敵な出来事の前に

最悪な出来事が起きて

絶望してる私に土壇場でひらめかせる

そこまで気がつかない私も私だけど

そういうことが時々起こり

振り返って助けられた!と思えて

不思議な力を感じるのだ

 

私の人生でかなりの傷となってる

幼稚園時代の役員いじめも

転園の最後のチャンスを掴ませた

あんなことでもなかったら転園してない

 

転園した幼稚園はノーマークだったけど

たまたま近所の子が1人だけ通ってた

そしてママが楽しそうだった

HPを見たら1年保育も受け付けていた

あの時のパーっと開けた感じが

今も忘れられずに心に焼き付いている

 

転園先の最高の1年を思うと

その後のトラウマを差し置いても

それで良かったって思う気持ちが強い

本当に本当に幸せな1年だった

 

思えば私はどの子の幼稚園選びでも

別の幼稚園にしようと動いてたのだ

 

我が家は徒歩圏に幼稚園がない地域で

ちょっとブランド力のある幼稚園が

バスだけど一番近かった

数十軒の分譲住宅地に

長女の同級生がたくさん(10人位)住んでいて

人見知りの長女のためにみんなと同じ

幼稚園がいいとは考えていた

ブランド幼稚園には懸念があったものの 

私は妊娠中でつわりの真っ最中

近所のママの「申し込み始まったよ」

「申込書もらってきたよ」

をただただ受けるのが精一杯だった

長女がもっと心配のいらない性格なら

お上品でブランド力など関係ない

違うタイプの幼稚園が良かった

 

息子の幼稚園選びは別の園と思い

お寺にある幼稚園を考えた

プレ教室は園バスが迎えにきてくれた

ところが次女の妊娠がわかる

私は女子を妊娠中の方がつわりが重い

結局すぐにバスに乗ることができなくなり

長女と同じ幼稚園に決めてしまった

 

次女の時は今度こそ別の園と決め

評判の良い市内の幼稚園が

比較的近所に移転するタイミングと重なり

ここしかない!と狙いを定めた

人気のある幼稚園で

説明会?を申し込んでいたが

私が年に一度ぐらいしかひかない

大風邪をひいてしまい動けず

元々転園したかったのは私で

夫は全然知らなかったので

協力してもらうこともできず

 

なぜかいつもタイミングが合わず

別の園に行くことを諦めたのだ

その時私は自分に言い聞かせた

「どこの園に行っても同じだから」

 

でも実際は全然違った

それを目の当たりにした1年だった

年間行事も初めての内容が多く新鮮だったし

何より毎日が楽しくて仕方なかった

もっと早く決断すればと思っても

きっと何もなかったら選んでいない幼稚園

神様本当にありがとう

 

バランサーの話で紹介した知人Bさん

新しい職場は今までより楽しいそうだ

前任の職場が働きやすかったからこそ

勤務継続のために3ヶ月トレードした

だけどそこを離れて新しい職場

仕事内容も人もすごくいいんだそうだ

今の方がずっといいとBさんは言った

 

そうなんだ・・・

今ここが一番いいって思っていても

それがその通りかはわからないんだな

私にももっといいところがあるのかも

「あるんだよ」とBさんに断言された

 

仕事内容はかなり楽しくて

やりがいも感じているけど時給が安い

扶養控除内で働きたい主婦にとって

年収の壁があるので強く出れないが

仕事内容はかなり高度だ

大体最低賃金が上がるのに年収の壁が・・

と思うけど それはまぁ置いといて

 

来月同じ日に入社した人が辞める