あまり、病気のことをあげるのは、読んでくださる方が決して楽しい話題ではないし、悩みました・・けど。


 関係ないっと想ってらっしゃる方も、事故や災害と一緒で決して人ごとではありません。


 いつどこで、何が起きるか、自身ではなくとも家族であったりの身になにかおこるかもしれません。


 場合によっては、それはそれまでの生活を一変してしうことにも、なりえます。


 経験しないで、すむならばしないほうがいい。でも、実際当事者になった場合、それは時によって、

 

 とても重いものを背負うことになります。



 そんなの当たり前、と想われるかもしれません。

 でも、経験者にしかわからないこと。

 当事者でなくとも、心に留めておいて欲しいこと。

 家族がいらっしゃる方は、その家族をも巻き込まざるをえない負担。

 独りであるならば、とても強い精神が必要となります。


 あくまで、これからあげていくことは、私の経験のもとであり・・・専門知識も資格もないですから、

 ちゃんと、かかりつけの、信用のおける医師に出逢えるまでなんとか粘ってください。


 その問題もふまえて、簡単にでないと長くなってしまうので、病気の経緯や流れを綴っていきたいと想います。

 

 

 まず、現在の奇病に至るまでの話になりますが、よければお付き合いくださいませ。


 私は、もともと産まれつき躰が弱く、病院に通院することが多く、物心ついた時には、薬が主食のような状態でした。 でも、活発で、身体を動かすことが大好きで、でも人より、物覚えが悪く、理解しているのに躰が想うように動いてくれないジレンマとパニックで、上手く人と接することができず、幼少の頃にはもう、他人も自分も嫌いだ誰も信じられないというような、傾向にありました。でもホントは、人が好きだったんです。でも上手く表現できなかった。


 母が精神を患っていたこともあり、周りや近所の人たちからのイジメや、虐待・・・。

 そのご、母が他界するまでのことは、あげないでおきますが、

 壮絶ではあったので、それが原因か、高熱が続いたのち・・・自己認識ができない症状におちいりました。


 テストで自分の名前がお想いだせない、誰かに呼ばれても自分だと認識できない。

 家に帰ることもできず、そんな自分が恐くて恐くて、書いた用紙を片手に家にもどったこと、

 家族と認識できない人たちと、家族のようにふるまう・・のがだんだんとツラくなり、

 「人にらしいねっ」と言われると、余計に自分のパーソナリテォーがわからなく、どうふるまっていいか焦ることがふえ・・・。毎日にのように、自己の分析をして、以前の自分の写真や手紙、色んなものから、きっとこの人はこうする・・・自分なのに、自分でない・・・その感覚のまま。怖くて怖くても、誰にも相談できず。鏡を見ても、「lこの人は誰だろう・・・私という人」と問いかける日々。

 宙をフラフラ浮いてる危うさを自身でも感じていました。


 幼少の頃、家庭環境の問題ゆえ、精神鑑定をすすめられましたが、私は正常だっ!病気じゃないっ!!と強くいいはり、逃げ続けていたものを、まさか大人になって奇病になり、そこで精神鑑定を受けることになるとは・・なんだか、やるせない想いでした。

 その結果で、はなされたのが、高次脳記憶障害、そして解離性二重人格、もしくは多重人格の可能性が・・。

ということでしたが、何故かわからないが、自己で何らかの方法で克服しているようだ。


と・・・・・・・。私は、異変が恐くてただひたすら必死でした。物を覚えることがひとよりできないから、なるだけメモをとる。メンタルバランスが不安定になり爆発しそうになるので、もっと広大な景色を険しい渓谷や、優しい清流に行き、自然と対する。自分のちっぽけさを、悟る。私は、好きでやってましたが、それが、実際の医療でもおこなわれる自己訓練の一つだそうです。


そして、出来がワルくても、頑張ることが大切、想いの強さが、大切・・・と想えてならなかったので、それが難しいこともおおいんですけれどもね。

なるだけ、そう想うなら想いを大切にして、自分も人も同じだと想いたかった。


難しいこともありましたが、ある程度、自分を受け入れられるようになるまで、20年はかかったように想えます。

それまでは、悩んで悩んで、独りで泣いて・・・。

でも、これって病気してなくたって、誰でもあることだと想うんです。


私は、かたくなでした。人になんか頼るもんかっ自分で生きてやるっ!て。

若いからもあったんでしょうけど、差しのべられた手に、忠告してくれた方に、ちゃんと受け入れてこられたてあろうか。今でも後悔していることは、多々あります。 だから、後悔しないよう、今は生きていきたい。


いろいろ、言う人もいます。でも、、まず自己の想いを大切にしたうえで、相手の話しを聞き、どうしてこう言うことを言っているのか、自分の中で消化して、理解できることと、理解できないことがあって当たり前ですから、接するということ、向き合うと言うことを、自然に大事にしてほしいです。


では、長くなりましたので、読まれた方はお疲れさまです。また後日、続きをあげますので、よろしければ読んでやってくださいませ。