2年くらい前からずっと読ませてもらってる稲垣さんのブログです。


どーんビックリマークな感じで発せられる言葉の奥に他者への尊敬と愛情がある。


吠える!コラムも好きですが、これも私の心にどーんと響いたのでシェアいう名の転載しますニコニコ


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私がスピリチュアル、というものにはまりこんだのは10年前位かな?

そういうワークショップ行って、色んな本読んで。
おおこういうのはそういう意味があるんだ!とか
私ってシリウス系なのねーとか(爆)
私の使命って何だろうとか、きっとやるべきことがあるに違いないとか
今がすでに満たされてるんだから欲はいらないよね!とか・・・汗

もうほんと、スピリチュアルという名のもとに、
私の脳は侵されていたなと。

別に今でもそれが悪かったわけではないと思うけど、
現実世界を生きている人間にとって、現実逃避に使われてしまえば、
結局何も解決されない、とういうことです。

天使がそう言ってた、ことがあっても、それが現実を動かしていないなら、
それはあまり役に立つとは思えないのですよ。

これは、私自身がそういう事を重要視しすぎて痛い目にあってるから
言えることです。

うちにもそういうお客様がいっぱいいらっしゃいます。
本に書いてあったこと、ワークショップでやったこと、
色々と実践するけど、結局現実は何一つ変わらない。

そりゃそうだ、自分が持つ前提が何一つ変わらないのなら、
何一つ変わらない世界を見続けることになるのだから。


何かの問題が起こるたびに、これは私が引き寄せたのだ、と自分を責め、
やりたいことが見つからないのは、自分にやる気がないせいだと責め
嫌いな人が入れば、受け入れなくてはならないと躍起になって、言葉を飲み込み
この試練は神が与えた修行なのだと、自分を変に納得させ
どこかに本当の真実があるに違いないと、外側ばかりを探し続け
本当の自分は、こんなはずじゃない、もっと素晴らしいはずだと、やっぱり自分を責める。

一生懸命、目の前の現実から目をそらすため、
どうにかするために、スピリチュアルに助けを求める。

でも、現実はどうにもならない。

そしてまた、私には愛と感謝が足りないのだわ、と自分を責める。


スピリチュアルを知らない前から、きっと自分を責めていたはず。
それが苦しくてどうにかしようと思って、スピリチュアルに答えを求めたけど、
結局、また自分を責め、苦しくなっている。

私はダメだ、私はいけない、私には何かが足りない
という前提を持っている限り、何をやっても何かを学んでも
現実は何一つ変わらない。


どこかの外国のパワースポットに行こうが、
心理学を学んでみようが、
ダライ・ラマに抱きしめてもらおうが、
自分を責める、という思考と行為をやめない限り、それは何も変わらない。


私はそういう人に良く言う。
『愛と感謝で、1円1円にでもなりましたか?』って。

それで豊かにあったり、幸せを感じる時間が増えましたか?
会社や身近な人間関係は良くなりましたか?
あなたの気持がどんどん楽になって、罪悪感を感じず、
怒りも少なくなり、今まで気にしていたことが気にならないようになりましたか?
何も考えずに、過ごす時間は増えましたか?


何よりも、自分自身を許していますか?


自分を許す、というのは、別にスピリチュアルを知らなくても、
心理学を学ばなくても、誰でも出来ることです。


あなたはあなたが思うより美しい

というのがまぎれもない事実なのです。