前回は、お釈迦様が悟った内容の「四諦〔したい〕」について、簡単に説明しました。あれだけでは、ぴんとこなくて当然です。お気になさらないで下さい。
四諦について完全にわかれば、悟っていることになるので、これは悟っていない私には完全に説明できるわけありませんが、頑張ってみます。
四諦 (苦集滅道)
苦諦〔くたい〕(ドゥッカ・サッチャ)
生存、世界はすべて「苦」という真理です。
しかしこの「苦」は、お釈迦様が説法された言語の一つである、
「パーリ語」の「ドゥッカ」の訳語です。(以後、漢訳語句のあとに()で示すのは、パーリ語での呼び名です)
ですので、日本語でイメージする「苦しい」と完全に一致するわけではありません。
「ドゥッカ」とは、不完全・不安定、空しい、苦しいというような意味です。
ですので、「森羅万象〔シンラバンショウ〕―全宇宙・すべての現象―は不安定で不完全で、完璧でなく、常に変化し続けていて実体がなく空しい、だから、苦しい」というような意味になります。
お聞きになったことがあるかもしれませんが、「無常〔ムジョウ〕」(アニッチャ)―瞬間たりとも止まらず変化し続けている様子―とか、「無我〔むが〕」(アナッター)―ある物をある物たらしめている実体はない―というような仏教の有名な言葉が説明しているところです。
不完全で変わり続けているから、空しい、悲しい、苦渋を感じるわけです。
せっかく作り上げたものも壊れてしまうし、そもそも完全なものなんて出来やしない。
人生は楽しいとか、素晴らしいとか、そういった肯定的な見方でなく、お釈迦様は「この世は苦しみだらけだ」「生きることの本質は苦しみだ」と発見したのです。
人生、世の中は、決して「楽」ではなく、「苦」(ドゥッカ)であるという真理です。
残念かもしれませんが、仏教では、生存ということを、あまり善いこととは捉〔とら〕えていません。むしろ、弱肉強食の残酷な世界で、無価値で、苦しいものだとみています。
苦諦:全宇宙・全生命・森羅万象は、ドゥッカ(不安定・不完全・空しい・苦しい)であり、生きるとは辛いこと、苦しいこと、空しいことだという真理
コンパクトに、読むのが嫌にならないことを目指しています。今日はこの辺で。
ありがとうございました。