016 「無我」について 1 | じゅんの仏教ブログ

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仏教(上座部仏教・初期仏教)についての書き込みをするブログです

 今回からは、仏教の「無我」について、考えてみたいと思います。

 「無我〔ムガ〕」(アナッター)とは、”すべての現象には実体がない”という意味です。

 人間の心身のことでたとえていえば、”〔タマシイ〕はない”、というようなニュアンスになります。ここでいった”魂”とは、実体のことです。つまり、”人間に魂などというような実体はない”、ということです。そして、人間に魂のような、実体的なものは存在しないということは、実は仏教の見解でもあります。

 実体とは、何か、その物や現象を、そのものたらしめているもの、〔カク〕となるもの、本質〔ホンシツ〕となるもの、それがなかったら成り立たない欠くことのできないもの、というような意味になります。

 たとえば、スマホ、スマートホンに実体はあるでしょうか?ないのです。
 液晶画面がスマートホンの実体でしょうか?そう仮定すると、声を拾うマイクや、データを処理する電子部品、電波を発生させる発振器などは無くてもいいということになります。そうではないですよね?
 全部の部品、パーツがそろわないと、スマートホンは成り立ちません。すべてそろって、はじめてスマートホンという働き・現象があるわけです。”これこそがスマートホンの核となる、実体だ”といえるものはないのです。

 そのように、いろいろな物や現象を想像してみて下さい。この全宇宙・森羅万象に、”実体”といえるものは、何もないのです。
 人間の心にも実体がない、自我もない、魂もない・・・・・。

 すべての物や現象は、実体がなく、ただ総合的に”瞬間的に”成り立っているだけと、仏教では考えます。すべての現象は、刻々の瞬間に一時的に成り立った現象の連続であると、仏教では説いています。

 無我は難しいので、何回かに分けて、書いていこうと思います。私も本当にわかっているのでしょうか?(笑)
(無我を完全に理解すれば、悟りに至るといわれています。)

 ありがとうございました。