奈落へ突き落とすブルドーザーの黙示録/ブライアン・リー【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第212回 奈落へ突き落とすブルドーザーの黙示録/ブライアン・リー

 


現在新日本プロレスで活躍している外国人レスラーのランス・アーチャー。203cm 120kgの巨体から繰り出す荒々しいパワーファイトとアメリカン・フットボール出身の突進力とたまに披露する身体能力を活かした飛び技などで彼は2011年から約8年間新日本プロレスでレギュラー外国人レスラーとして参戦している。彼の得意技のひとつであるチョークスラムはとにかく高角度で豪快でどこか美しいのである。

 

そんな彼の勇姿を見ていると私はふとあるレスラーを思い浮かべることがある。

 

「確か彼に似たレスラーはちょっと前にいたよな、チョークスラムが得意で豪快なパワーファイトを得意にしていて、ワイルドでかっこよかったんだよな…」

 

かつてアーチャーが東京ドームでの入場シーンでハーレーで登場したことがあったが、彼も一時期はハーレーで花道に姿を現していたことがあった。黒皮のベストがトレードマークで1990年代にアメリカンプロレスでニューウェーブとして期待された男。

 

彼の名はブライアン・リー。

プライムタイム、ブルドーザー、キルドーザーと呼ばれ201cm 130kgの荒ぶる巨漢レスラー。

WWE(当時WWF)、WCW、ECWとアメリカの主要団体を転戦していった。

彼は体格に恵まれて、試合運びが上手く、プロレスセンスがあった。だが、なぜか彼は大成しなかった。そして彼の存在はあまり語られる機会は少ない。その理由を私は探求したくなったのである。

 

今回は後世に残らなかったあのモンスターの物語。

 

ブライアン・リーは1966年11月26日アメリカ・フロリダ州セントピーターズバーグで生まれた。本名はブライアン・リー・ハリスという。ちなみに1990年代に活躍したブルーザー・ブロディ似の巨漢ツインズロン・ハリスとドン・ハリスのハリス兄弟(ブルーズ・ブラザーズ)は彼の従兄弟である。

 

彼は1998年にテネシー州メンフィスにあるジェリー・ジャレットが主宰するインディー団体CWAでデビューする。CWAという団体は翌1989年にフリック・フォン・エリックのWCCWと合併し、USWAが誕生すると、彼は期待の若手として参戦する。新人ながらCWA世界タッグ王座やUSWA世界タッグ王座を獲得している。

 

1990年4月にメジャー団体WCWに参戦する。そこで彼はジョバーとして何試合かこなしたようである。同年11月の「クラッシュ・オブ・チャンピオンズ」では"Z-Man"トム・ジンクと対戦して敗れている。またケビン・サリバンと組んで、ダイヤモンド・スタッド(スコット・ホール)&ダイヤモンド・ダラス・ペイジと対戦している。またWWE(当時WWF)にもジョバーとして登場している。USWAでメインで活動しながらWCWやWWEでジョバー稼業をして、キャリアを積んでいった。

 

1992年に彼はテネシー州ノックスビルを拠点とするWCWでマネージャーとして活躍したジム・コーネットが率いるインディー団体SMWに参戦する。"プライムタイム"という異名を持ち、SMWでは若きエースとして活躍する。SMWヘビー級王座、SMW TV王座、SMWタッグ王座に戴冠している。ちなみに後にWWEでサニーというリングネームで女性マネージャーとして活躍するタミー・リン・シッチが初めてマメージメントをしたのは彼とクリス・キャンディードのコンビだった。同年11月には従兄弟のハリス兄弟とのつながりで剛竜馬が率いるオリエンタル・プロレスに初来日している。

 

この頃のブライアン・リーはブロンドの長髪をなびかせ、黒のショートタイツで闘う典型的なベビーフェース。その雰囲気はどこか全日本プロレスに参戦していたジョニー・エースに似ている。得意技はチョークスラムではなく、カナディアン・バックブリーカーで抱えた状態からマットに両ヒザをつき、背骨や腰にダメージを与えるバックブリーカー・ドロップ(後にWWEでAトレインが得意技にしていたトレイン・レック)だった。また週刊プロレスで初来日直前にミニ特集が組まれ、アメリカ・インディー界でいかに彼が期待されているのかが伺えた。

 

1994年、WWEで不思議な現象が起こっていた。WWEのスーパースターであるジ・アンダーテイカーがヨコズナとの棺桶マッチに敗れてしばらく姿を消していた。そんなある日のテレビ収録日のこと、かつてアンダーテイカーがWWE初登場の際に呼び寄せたミリオンダラーマン(テッド・デビアス)が財力を駆使して、アンダーテイカーが姿を現したのである。風貌や動きはかなり似ているがよく見ると少し違う。どうやら偽物のようだ。この偽アンダーテイカーの正体がブライアン・リーだったのである。

 

その数ヵ月の同年8月の「サマースラム」のメインイベントで偽アンダーテイカーと化した彼は本物のアンダーテイカーと禁断の対戦を行った。まるでホラー映画のような一騎打ちとなったが、このような偽物としてリングに上がり、ビッグマッチで超大物と対戦するには少々荷が重かったのかもしれない。試合はそこまで盛り上がらず、本物が勝利を収め、彼はWWEを去っていった。

 

WWEを去った彼はUSWAとSMWに戻り、黒のショートタイツから黒のベストにTシャツ、黒のジーンズというスタイルにモデルチェンジする。得意技も後に代名詞となるチョークスラム(プライムタイム・スラム)を使うようになる。ちなみにハリス兄弟と組み始めたのもこの1994年から1995年である。

 

1996年、彼はアメリカ第三の団体として注目されていたハードコア・レスリングECWに参戦する。当初は悪ガキのカリスマとして君臨するレイヴェンのボディガードとしてリングに上がり、レイヴェンズ・ネストのメンバーとして活動する。このECWに参戦してから”ブルドーザー”や”キルドーザー”と呼ばれた彼はモンスターとしての潜在能力を開放する。ハリス兄弟と共に参戦した試合では、一人が二つのパイプイスを相手の頭にセッティングしてからのサンドイッチ・ビッグブーツという荒業まで披露している。

 

トミー・ドリーマーやテリー・ファンク、サンドマンと抗争を繰り広げる。特にドリーマーとの抗争は後世に語り継がれるほどの死闘を展開する。足元がグラグラ揺れる高所足場でのデスマッチ(スキャフォードマッチ)では彼はドリーマーによって高所足場からリング内にあるテーブルの山に転落させたり、時には試合に敗れた彼がドリーマーを会場の二階席に連れていき、一階に設置したテーブルの山に断崖式チョークスラムを敢行したこともあった。ECWの若きエースともいるドリーマーを断崖式チョークスラムでKO勝ちしてから彼は覚醒する。ECWがメジャーにも通用する相手を最凶を誇る奈落へ突き落とすブルドーザーの誕生である。

 

週刊プロレスで彼のミニコラムが掲載され、注目のレスラーとして紹介されたのもこの時期である。その後、彼はシェーン・ダグラス、クリス・キャンディードと「トリプル・スレッド」というユニットを結成し、ヒールの大物としてハードコア革命の重要人物の一人となった。だが1997年に彼はECWを去り、WWEに移籍する。チェインズというリングネームとなり、クラッシュ(ブライアン・アダムス)をリーダー、ハリス兄弟(この時期はロンは8ボール、ドンはスカルと名乗っている)を加えたバイカー集団「DOA(ディサイプルズ・オブ・アポカリプス・黙示録の使者)」のメンバーとなる。ハーレーに搭乗してからの入場シーンが彼らの定番だった。

 

アティチュード路線を突き進んでいたWWEはこの時期はさまざまなユニットがひしめいていた。サヴィオ・ベガ率いるカリビアン集団ロス・ボリクアス、ファルークや新人時代のザ・ロックが在籍した黒人政治結社NOD、プロレス界の軍人部隊トゥルース・コミッションなど群雄割拠した状況にDOAは参入し、軍団抗争を繰り広げた。

 

だがこの時期の彼は強さを発揮するよりどこか相手を引き立てるやられ役になることが多かったように思える。ECWで思う存分に見せつけたブルドーザーぶりも鳴りを潜める。チョークスラムは封印し、デスバレーボムをフィニッシュホールドとして使っていたし、テレビマッチではトップレスラーや他ユニットのメンバー相手によく敗れている印象が強かった。彼は三度目のWWE参戦というチャンスをものにできず、1998年夏に解雇されてしまう。

 

インディー団体では巨星になるのではという輝きを放ちながら、メジャーに上がると尻つぼみになってしまう。何故か?恐らくメジャーからする彼は新人時代のジョバーのイメージと働きぶりを買っていたのではないだろうか。そもそもWWEには彼が同格あるいには上回るモンスターはたくさんいるのだ。インディーでは圧倒的な強さを見せて、メジャーになるとワン・オブ・ゼムとなる。これはインディーで最強を誇りながらも、メジャーではそこまで活躍できなかったマイク・アッサム(ザ・グラジエーター)にも似たことが言えるかもしれない。

 

WWE離脱後、あまり海の向こうから活躍が聞こえてこなかったブライアン・リーだったが、2002年にジェリー・ジャレット&ジェフ・ジャレットが設立したTNAに参戦する。マネージャーのファーザー・ジェームズ・ミッチェルを迎え、元WWEのスラッシュ(ヘッドバンカーズの一人)をパートナーに「ディサイプルズ・オブ・ニューチャーチ(新教会の使者達)」 を結成する。30代後半となった彼の肉体はECWやWWE時代の148㎏からかなりスリムになっていた。黒の長髪に黒のレザーパンツに変わり、やや不気味さが増した。このスラッシュとのコンビではNWA世界タッグ王座を獲得している。


だが翌2003年にはTNAを離脱。その後はインディー団体を転戦し、2004年12月に38歳の若さで引退した。その後はたまにインディー団体にゲスとして参戦しているので、厳密にいうとセミリタイア状態である。


一説によると彼は薬物の影響でかなり苦しんでいたという。プロレスラーとしてセミリタイアせざるおえないほどの深刻な状態だったのだろう。結局、奈落に突き落とすブルドーザーは大成することなかった。


時代が彼を味方しなかったのか、彼が時代を味方にできなかったか。その答えは両方ではないだろうか。プロレスラーとしての能力はあっただけに実にもったいなかった。


そういえばブライアン・リーはWWE時代に「DOA(ディサイプルズ・オブ・アポカリプス・黙示録の使者)」というユニットに在籍していたが、そのチーム名にある黙示録とは、ヘブライの宗教思想の影響下で記された終末論を記した一連の書物のことである。転じて、そこに描かれるような破滅的な状況も指すものだという。


結果的にもブライアン・リーというプロレスラーの黙示録もどこか破滅的だったように思える。ただ彼は、ほんの少しだったかもしれないが、相手を奈落に突き落とし最凶を誇ったプライムタイムが存在したこと。そのプライムタイムが時代にマッチしていたら…彼はどうなっていたのか。この世に「たら・れば」はないという。でも私はこう言いたいのだ。


もしも時代が味方したのなら、ブライアン・リーは確実にスーパースターとなり、世界が恐れるモンスターとなっていた。


ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ時流に乗れなかったんだよなぁ…。