情熱のタクト/カール・アンダーソン【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスやエンタメ関係の記事を執筆しているライターのブログ




俺達のプロレスラーDX
第4回 情熱のタクト/カール・アンダーソン




ある日のTwitterでこのようなツイートがあった。


親愛なる友よ。私は禿げてます。


なんとも意味不明なツイートの主はなんとカール・アンダーソンだった。

ちなみに親愛なる友とは彼のLA道場時代からの親友・中邑真輔である。


奇妙なツイートは恐らく日本語変換ソフトを使用したものだろう。

この件でわかるように彼は新日本のリング、そして日本を愛している。

選手やファンも彼を立場関係なく認めている人が多いだろう。

これはマシンガンと呼ばれる男の物語。


カール・アンダーソンは大学中退後、2002年にプロレスデビュー。

実力はあるもののなかなか芽は出ず、アメリカのインディーマットで技術と腕を磨いていた。

彼にとっての第一の転機は新日本LA道場への入門だった。


2006年、今はなき新日本LA道場に入門したマシンガン。

当時はチャド・アレグラと名乗っていた。

そこで彼はプリンス・デヴィット、ロッキー・ロメロ、アレックス・コズロフ、

そしてアメリカで肉体改造中の中邑真輔と出会う。


実はこの頃のマシンガンにはお金も住む家もない状態だった。

それを見かねた中邑は彼に飯を奢ったりして貧困の危機を救っていた。

またデヴィットとの長年の友情はこの時に育まれたものだった。

明日を夢見た男達はLAで交差する。


しかし、マシンガンにとって住み処のLA道場が閉鎖。

またしても彼は貧困生活に逆戻り、プロレスに夢を見いだせなくなり、引退を考える。

そんなマシンガンに第二の転機が訪れる。

2008年、新日本プロレス来日が決まったのだ。


新日本に来日したマシンガンはレギュラー外国人の座を獲得。

GBH、CHAOSに入り、やられっぷりのよさと働き者ぶりを遺憾なく発揮。

また当時の外国人エースのジャイアント・バーナードとバッドインテンションズを結成し存在感を出す。

新日本で安定した立場を獲得したマシンガンはいつしかリング上の指揮者となっていく。


指揮者には試合をいかにうまくコントロールし、いい試合に導くことができる技量が必要だ。

試合に負けようが勝とうが彼はその技量で魅了した。

マシンガンはIWGP&GHCタッグ王座をバーナードとのタッグで獲得し、

歴史に残るタッグチームを形成した。

しかし、第三の転機がやってくる。

2012年、パートナーであるバーナードがWWEに移籍することなったのだ。

相棒を失ったマシンガンは2012年をマシンガンイヤーにすることを誓い独り立ち。

彼は自らの引き出しをさらにあけ、リング上の指揮はさらに情熱的になっていく。

その甲斐があり、外国人として二人目のG1決勝進出を果たす。


G1決勝戦のリングに立ったマシンガンの前に立ちはだかったのは、

優勝候補で時代を変えようとする"レインメーカー"オカダ・カズチカだった。

観客の声援はオカダではなく、マシンガンに集中した。

それは苦労した彼に報われてほしいというファンの思いだった。


G1決勝で二人はそれぞれが培ったテクニックとプロレス頭を競い合うスリリングな試合となる。

それはまるで戦いの中でシンフォニーを奏でるかのようだった。

その中で、マシンガンはなんとかつての相棒の得意技を使ったのだ…


マシンガンがかつての相棒バーナードの十八番バーナードライバーを出したとき、

会場はどよめきと歓声に包まれ、熱量はさらに増していく。

しかしレベルの高い攻防の末惜しくも散った。

だが彼のタクトは最高級の試合を提供した。


2013年、マシンガンに第4の転機が訪れる。

それはLA道場からの親友デヴィットとの黒い凶悪組織バレットクラブ結成だった。

善玉から悪玉へ…

この選択は彼にとっての何だったか?

その選択のヒントとなる出来事は翌年(2014年)に起こる…


バレット結成後、リングは無法地帯となりリーグ戦は荒れた。

介入、反則当たり前のスタイルに批判も出た。

それはそうだ。伝統ある大会が汚されていく。怒りを持って当たり前だ。

しかし、彼らはプロだ。役割を全うするのが仕事だ。

極悪集団バレットクラブに大きなターニングポイントを迎えることになる。


2014年4月、親友デヴィットが新日本をプロレス退団。

マシンガンにとっては第5の転機であった。

私は考える。

デヴィットは数年前から新日本を去り、新しい夢(WWEへの入団)を抱いていたはずだ。

だから最後のやり残しとしてマシンガンとの軍団結成ではなかったのかと。


悪という立場でありブーイングを浴びる日々が続いても、

デヴィットにとってこの一年はマシンガンや仲間達と過ごした尊いものだった。

それはマシンガンにとっても同じ。

だからデヴィットが去っても彼はバレットクラブでプロとして生きる。


観客が存在している空間での真のプロとはどうあるべきか?

そのことを一番、新日本で体現しているのはマシンガンなのかもしれない。

彼が入れば試合は成立し、軍団はスムーズに運営され、会社が望むものを期待以上の内容で応える。


我々は今、貴重な時間を過ごしているのかもしれない。

マシンガンはWWEから四度オファーがあるほど評価を頂いたが、断っている。

だが、絶対ないとは言い切れないのがプロレスの世界。

彼がいずれ新日本プロレスを去ることも考えられる。


カール・アンダーソンはリング上で、セコンドとして、バレットクラブという立場で試合だけでなく、

もしかしたら我々の心理までもコントロールしているのかもしれない。

情熱のタクトは今日もリングを支配している…