緑の虎は死して神話を遺す
平成のプロレス王・俺達の三沢光晴物語
序章 殉死
2009年6月13日、プロレスリングノア広島大会。この日、三沢光晴は潮崎豪と組んで
齋藤彰俊、バイソン・スミス組が持つGHCタッグ王座に挑戦した。
試合はヒートアップし、20分すぎ、齋藤の強烈なバックドロップが炸裂する。
バックドロップを放った齋藤はコーナー付近で待機しニールキックを狙っていた。
しかし技を受けた三沢が起き上がらない。
レフェリー西永は異変を感じ三沢の状態確認。
西永が「止めるぞ」と確認すると三沢は「止めろ」 と言った…生涯初の降伏だった。
27分3秒レフェリーストップで王者組勝利。セコンドが駆け寄る。
浅子トレーナーと三沢の知人である医師2名が駆け寄る。
しかし全く三沢は動かない。このとき三沢に息はしてなかった。
慌てて心臓マッサージをして蘇生を試みる。だがピクリと動かない。
観客は動かない三沢に悲痛な三沢コールを送る。
泣いているファンもいる。
あの受け身の達人三沢がリング渦に巻き込まれるのか?
信じたくない。嘘だって言ってくれ!
ファンの思い、選手や関係者の思いはひとつとなる。
その頃、会場にAEDが運ばれた…
浅子トレーナーの指示で選手たちが着ていたTシャツを脱ぎ、三沢の体をふき始める。
AEDは汗で体が濡れていると使用できない。AEDの無機質な音声ガイドが会場に響く。
しかし三沢は蘇生しない。敵味方関係なく選手が駆け寄る。
「社長!社長!」
救急隊員が会場に到着。
三沢は担架に乗せられ、救急車で広島大学病院に運ばれる。
だが、午後10時10分、処置の甲斐なく三沢光晴永眠。
享年46歳。あと5日後で47歳の誕生日を迎えるはずだった。死因は頸椎離断によるショック死だった…
三沢の体調は十年近く体調は芳しくなかった。
古傷の首は変形性頸椎症と診断され、下をむくことができない最悪な状態だ。
それでも彼はノア旗揚げ以来一度も休場することはなかった。
社長としての責任感故の行動が、この惨劇を生んでしまったのか…
三沢の死は広島市内のホテルで待機していた選手達に伝えられた。
しかし、いてもたってもいられなかった男が一人いた。
三沢が倒れたとき、体調が悪くバスで休んでいた小橋建太だった。
三沢死後17分後の病院に到着。三沢の亡骸と対面した。
本来、家族の許可がなければ遺体には対面できない。
だが今回は特別に許可が下りた。
三沢の死を信じられない小橋は遺体となってしまった三沢の手を握る。
三沢の手はやはり冷たかった。
小橋はこの時三沢の死を身をもって実感したのだ。
プロレスリング・ノアは三沢の死後翌日、博多大会を控えていた。
開催すべきか、中止をすべきか。
残された選手達は
「ファンを何より大切にする三沢さんだったら、どんな状況でも開催するだろう」という考えで一致。
開催されることになった。悲しいがそれがプロである。
6月14日。選手達はホテルから病院に到着。
真由美夫人、欠場中の丸藤らも駆けつけた。
三沢と対面する。皆泣いていた。嗚咽が漏れる。
歴代付き人達によって遺体は車に運ばれ自宅へ。
その時は小橋は目を閉じて手を合わせていた…
三沢死後翌日の博多大会。
この日は秋山VS力皇のGHCヘビー級戦が組まれていたが、
秋山が腰椎椎間板ヘルニアのため王座返上することになる。
涙ながら謝罪する秋山は王座決定戦の代打としてあの男を指名。
三沢のパートナーの潮崎豪だった。
秋山は生前の三沢から相談を受けた。
潮崎をどうしても育てたいのだが、誰がパートナーがいいのかという内容。
秋山は三沢さんが相応しいと答えた。三沢と同意見だった。
潮崎を頼む…秋山には三沢から託された約束に思えてならなかったのだ。
三沢と秋山に託された潮崎は力皇と激闘の末、勝利。
悲願のGHC王座を獲得。会場に設置された三沢の遺影にベルトを見せつけ号泣…
三沢さん、ありがとうございました! ベルト獲りました…
そんな思いが彼によぎったのかも知れない…
6月22日、後楽園ホール。ノアシリーズ最終戦。
全試合終了後、当然三沢の入場テーマ曲スパルタンXが鳴り響く。
自然とわき起こる三沢コールと手拍子。
いるはずのない三沢がリングで苦笑いしている気がした…
緑の紙テープに包まれるリング。三沢コールの大合唱。
実況の平川アナの名実況が木魂する。
彼は三沢にこのような言葉で追悼の言葉を述べる。
「三沢光晴はプロレス界の宝、そして俺達の誇りです!」
7月4日、三沢の献花式(お別れの会)がディファ有明で開催。
訪れたファンと2万5000人。
会場からのファンの列が2km以上で連ねていた。
彼の死は世間にも届き連日、彼の足跡と功績が報道。
命がけのプロレスへの奉公となったのか?
プロレスに全てを捧げた男三沢光晴。彼の死はまさしく殉死だった。
一体彼のプロレス人生とは何だったのか?
三沢とはどんなプロレスラーだったのか?
今こそ心の巡礼の旅に出るときが来た。
私はそう決意したのである。
(序章 殉死 完)