憂鬱な熟女にも春は来る。
今日は暖かくて、家にじっとしてられなくて、買い物に出かけました。
最近ずっと忙しくて何も買ってなかったので…ネイルに服に…手あたり次第、あれこれ買ってきました。
そんな事だけでもちょっと楽しくなりました。
前回の記事に戴いた絲子さんからのコメントの中に
「死ぬのが怖い」という一文がありました。
私は「死ぬのが怖い」という感覚が余りなくて、
それよりも「生きているのが辛い」方が強くて、早くここ(この世)から逃れたい…
こういう感覚は多くの皆さんが持っていらっしゃるわけでは無いのかも知れないと思って、
その事を掘り下げて書いてみようかと思ったのですが…何だか余り筆が進みません。
春めいてきた時にこんな話
皆さんご興味はおありでないかも知れない…
顔を背ける方もいらっしゃるかも知れない…
なので、出来る範囲で書いてみることにします。
私がこの感覚を持ったのは最初のラセン(「ラセン」の意味については、前記事参照下さい。)を経験した時でした。
その事については下記の記事に記載しています。
死生観 | 悩める50代女性のブログ (ameblo.jp)
死生観2 | 悩める50代女性のブログ (ameblo.jp)
つまり、なぜ私は生きているのかと悩んだ末に、
私をこの世に在らしめているのは、神で、
その神は何か善い目的の為にそれを為しているのだと信じる事にしたのです。
(なお、私はいずれかの宗教を人様に勧めるつもりはありません。勧めたところで、信じられるものではないと思いますし、宗教を必要としないで生きて行けるならそれで何も問題はないと思います。)
後で知ったのですが、この選択の方法は、科学者で有名なパスカルが提案した「パスカルの賭け」という方法らしいです。
神様がいるのか、いないのかは解らないけれど、いないと思って生きるよりも、いると思って生きた方が最後まで生きて行けそうだと思ったので選択しました。
ALSに苦しみながらも研究を続けた有名な物理学者のホーキング博士によると、
神はいないと完全に証明されているのだそうです。
神は存在するのか? ホーキング博士が遺作でも強調した「答え」(岡本 亮輔) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media)
博士によると神は完全なギャンブラーだそうです。
そう結論付けた博士は、どんな思いだったろうか…
私に博士の本を理解できるような数学の素養が無くて良かった…
パスカルの賭けの如く、
たとえ神を信じて生きて、死後にそれが間違いであったと知ったとしても、
神が居ないと思いながら生きるよりはまだ救いがある気がする。
何だか…書きはしましたけど、私が「死ぬのが怖い」という感覚があまりない理由をちゃんと説明できていたでしょうか?
出来てなかったら…すみません。またいつか、考えてみます。
(本記事のタイトルは上図、ゴーギャンの絵「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」です。)