【瀋陽=吉永亜希子、北京=東慶一郎】2010年のノーベル平和賞受賞者で、中国の民主化運動の象徴だった劉暁波(リウシャオボー)氏が13日、服役中の監獄から移送されていた遼寧省瀋陽市の病院で、多臓器不全のため死去した。
同市司法局がホームページで発表した。61歳だった。劉氏の正式釈放、出国治療の要求を拒否した習近平(シージンピン)政権が、国際社会の厳しい批判にさらされるのは必至だ。
ノーベル平和賞受賞者が、当局による拘束下で死去するのは、1935年の受賞者でナチスに投獄されたドイツの平和運動家カール・オシエツキー氏以来。
劉氏は2008年12月、共産党の一党独裁を批判し、民主化を求める文書「08憲章」の起草で中心的役割を果たし、拘束された。10年2月、国家政権転覆扇動罪で懲役11年の実刑判決が確定。同年10月に平和賞受賞が決まり国際社会の釈放要求が高まったが、中国は拒否し続けた。今年5月に「末期の肝臓がん」の診断を受け、治療のため中国医科大付属第一医院(瀋陽)への移送が認められていた。
関係者によると、劉氏は移送後も外部との接触をほぼ制限され、家族らが希望した米国やドイツでの治療も拒否されていた。国際社会の強い関心や批判を受け、中国側は万全の治療体制を繰り返し強調。米独の医師による診察も認めたが、海外移送は認めなかった。
劉氏は1989年、留学先の米国から帰国して民主化運動に参加。同年6月、当局が学生らの運動を武力弾圧した天安門事件の際、学生らを説得して広場から撤退させた。海外メディアを通じた民主化要求を続け、当局による拘束や監視が繰り返された。