ジャンプSQ. #17584 | ジャン魂G!

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人生に役立つ格言
①「小さなことには慎重にし、大きなことには驚くな」 徳川光圀
黄門様で有名な徳川光圀の言葉だ。光圀は五代将軍徳川綱吉の副将軍といわれ、常に江戸に住むことを求められた。したがって伝えられる「漫遊記」はフィクションだ。つまり、光圀が全国をあちこち歩きまわれるような時間もなかったし、またそんなことはできない。彼は二代目の水戸藩主だが、水戸藩に戻れたのもそう度々ではない。したがって、常に藩のことが気になり、水戸城に勤める武士たちに対し細かい注意を与えた。よく手紙を出し、水戸に帰ったときには城の広間に全員を集めて訓示もした。彼は若いときは吉原で遊んだり、また江戸の町で町人と喧嘩をしたりしている。したがって、人情の機微はよく心得ていた。そのためにこういうことをいって大雑把な人間は戒め、また臆病な人間は逆に勇気づけるという方法を心得ていたのかもしれない。この言葉はその光圀の本領をよく示すもので、大いに学べる点があると思うが、いかがであろ
うか。

②「彼は彼、われはわれでいこうよ」 大久保利通
高杉晋作の奇兵隊の反乱は、幕府からみると第一次征長軍の参謀だった西郷隆盛が黙認したようなものだ。奇兵隊の反乱は藩庁を占拠し、改革的な藩政を行いはじめた。保守派は全部退けられた。したがって、高杉の大割拠方針は、長州藩は武士だけでなく全住民も結束し、来るべき危難に備えようということだ。当然、幕府側は目くじらを立て第二次長州征伐を思い立つ。 この頃、大久保利通は、「長州藩と手を組みたいが、これではだめだ。彼は彼(長州藩は長州藩)、われはわれ(薩摩藩は薩摩藩)で独自の路線を歩むべきだ」と同志に手紙を送っている。この段階における大久保利通の大決断は「薩摩藩も割拠独立」の決意だといわれる。「彼は彼、われはわれ」という心意気のある同志が手を組んだからこそ、明治維新は成し遂げられたのであろう。もたれあっていては、大事を成すことなどできないのだ。