ジャンプSQ. #16643 | ジャン魂G!

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死去した萩原流行さん、事故直後は「手が動いていた…」
俳優の萩原流行さん(62)が22日、東京都杉並区内の青梅街道で事故を起こし、救急搬送されたが死亡した。杉並署によると、午後6時8分、東京都杉並区の青梅街道の路上で、男性が倒れているのが発見され、119番通報。病院に搬送されたが午後7時26分に死亡が確認された。

現場には愛車の大型バイク、ハーレーダビッドソン(883cc)が残されていた。

現場付近で事故を目撃した男性によると、事故当時は激しい雨が降っていた。事故当時、萩原さんは3車線の中央車線を走行しており、右車線の2台後方を走っていたドライバーの男性によると、前方の走行車両を右側から追い抜こうとした際に「バイクがフラフラとふらついた」。次の瞬間、萩原さんはバイクから転がるように落ちた。

車を止めて様子を見に行くと、フルフェースではないヘルメットをかぶった萩原さんは、「口の両側から血を流していた」という。

最初は「手が動いていた」が、警察が到着し、慌ただしく毛布をかけるなど救急車を待つ間、「途中から動かなくなった」と証言した。

事故直後に現場を目撃した男性も「(最初は)手が動いていたから、大丈夫だと思ったが…」と話した。

身元はまゆ美夫人が確認した。薬物や飲酒の摂取の有無などについては血液検査で鑑定中。

萩原さんは今年3月23日、大型バイクを運転中、杉並区の区道で転倒し、右腕を打撲するけがを負ったばかりだった。

また、昨年10月には、杉並区内で乗用車を運転中に歩行者と接触。当て逃げ容疑で今年3月下旬に警視庁に書類送検された。

13年1月にも、同じく杉並区内で、乗用車を運転中に自転車と接触事故を起こし、軽傷を負わせていた。

萩原さんは、1991年ごろからうつ病を罹患。その後夫婦でうつ病を患っていたことを告白し、2009年には著書「Wうつ」を出版した。

24時間テレビ「Hey!Say!JUMP」抜てきの裏事情
いよいよ追い落としに拍車をかけるのか。毎夏恒例のチャリティー番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」(8月、日本テレビ系)のメーンパーソナリティーに、ジャニーズの人気グループ「Hey!Say!JUMP」がV6とともに選ばれ、このほど発表された。V6はともかく、全員が平成生まれの若いグループの大抜てきは、先の“ジャニーズ内紛”を念頭に「いよいよジュリー体制の足固めか」との観測も呼んでいる。

V6のメーンパーソナリティーについては誰もが納得の起用となった。

「デビュー20周年の節目の年ですし、このところ、井ノ原快彦の司会(NHK「あさイチ」)や、昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』などでの岡田准一の好演といった(メンバーの)活躍もありますしね」(テレビ関係者)

だが、2004年にデビューした「Hey!Say!JUMP」の抜てきには違和感を抱いた関係者もいる。

同グループは現在、9人組(4年前に森本龍太郎が活動休止)で、山田涼介(21)や知念侑李(21)ら人気メンバーを抱える。山田をはじめ、ソロ活動が活発なメンバーもいるが「ここ2~3年は『仕事がないです』と嘆くメンバーも。それくらい最近はグループとしてパッとしない」と芸能プロ関係者は語る。

そんなグループがいきなり大抜てき。当然、ジャニーズ事務所の“力業”でもあるが、次期社長と目されている藤島ジュリー景子副社長の「大仕掛け」、あるいは「大勝負」ともみられている。

「一時期、盛んに言われていたジュリー氏とSMAP育ての親のI女史との対立構造ですが、業界的には『週刊文春』のインタビューでメリー副社長が、次期社長はジュリー氏としたことで“勝負あった”というところ。ただ、タレントマネジメントの実力としてはSMAP、『Kis-My-Ft2(キスマイ)』をスターに育てたI女史と、嵐、関ジャニ∞をブレークさせたジュリー氏では、どちらが上かといわれても、はっきり断言できる人は多くはない。そこで、圧倒的に実力差を見せつけられるのが『Hey!Say!JUMP』といわれているんです」(同関係者)

いったいなぜ? それは「Hey!Say!JUMP」というグループの変遷にある。

「デビュー当時は、ジャニーさん(喜多川社長)がマネジメントに関わっていたグループなんですが、まもなくI女史に委ねたんです。ただ、I女史にしてみれば、キスマイのようにデビューから面倒を見ていたわけではないので、思い入れも強くない。だから、どうしてもキャスティングも二の次、三の次になっていた」(テレビ局関係者)

その時期が“くすぶり”の期間だった。やがて、状況は変わった。

「一昨年のコンサートツアーが彼らにとって転機になった。そのステージ演出にも納得してなかったようですが、メンバー全員一致の意見でI女史に対して“反旗”を翻したんです。『ジュリー氏のマネジメントに変えてくれ』と。I女史に反旗を翻すこと=ジャニーさんにも反旗を翻すことでもあったのですが…」(同関係者)

一方で、この“反旗”がジュリー氏をいたく感動させたという。

「当然ですよ。当時はまだ対立構造が激化といわれていた時期で、そんなときに自分を頼りにしてきたんですから。当然、I女史が売り切れなかったものを自分がブレークさせてしまえば、力の差を見せつけることができる。今回の24時間テレビは、ジュリー氏の意地のキャスティングともいわれているんですよ」(同)

メンバーにとっては、メーンパーソナリティーになったからといって終わりではない。

「グループとして躍進できるかどうかは、このチャンスを生かせるかにもかかっている」(前出のテレビ局関係者)

ここで完全ブレークしてしまえば、グループの人気も、ジャニーズ内のジュリー体制は盤石になるというわけだが…。