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W杯。

またまた久しぶりのブログです。





最近、自分はチームの1番手の先発投手を任されており、心が穏やかではない日々を送っています。








サッカーW杯ブラジル大会が開幕しましたが、連日の熱戦の模様を見て・・・いや、実際には全然見てないのですが、少し思うことがありました。





日本は初戦のコートジボワール戦を落としました。





自分は日本人だし日本代表を心から応援していますが、正直勝敗に関してはどっちだっていいと思っています。





試合なんだから勝敗は絶対に決まる。





勝負なんだから、勝つこともあれば負けることもある。





幸運で勝てることもある。





メディアも含めて、大会が始まる前はあんなに上位進出だなんだってもてはやしてたのに、負けたら裏を返したように叩く。





日本国民やメディアからのプレッシャーというのは、そういう光景を見ているとモノ凄いなと思いますが、実際選手に最大のプレッシャーをかけているのは、他の誰でもなく選手自身だと自分は思うんです。





野球もそうですが、ここで負けたらどうしよう、ここで打てなかったらどうしよう、打球が自分ところに飛んでくるな、100%がそうい人ではないかと思いますが、そんな風に思うのがまともな人間。





相手だってそうだから、と、何とか納得してグラウンドに出て行く。





もちろん先日の日本代表は調子は良くなかったのかもしれないけれど、必ずしも調子をW杯にピークを持ってこれるとも限らない。





頑張ったけど結果が伴わない。





そんな例は5万とあります。





そもそもW杯に出てるんだから、頑張ってないはずがない。





ただ、結果が伴わなければ頑張ってない。





そう言われるのが国際大会なのかもしれないのも分かります。





自分自身は、そういう全ての要素を理解した上で、ただ単純に試合を楽しみたいと思っています。





いいプレーをしたら拍手喝采。





それでいいのではと思っています。





国の代表としてあのピッチに立っているだけで、自分は尊敬の眼差しを送ることしかできません。





”国の代表”で思い出しましたが、某日本の独立リーグの関係者の方が、国を背負ってという意味では、海外で戦っている人だけでなく、日本にいる国民一人一人が日本という国を背負っているのではないか?とおっしゃっていました。





それを聞いて物凄く納得しました。





W杯の会場でゴミ拾いをする日本人サポーターがいるかと思えば、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチに紛れて痴漢行為をする人もいる。





日本の国民性は表舞台に出ている人だけじゃなく、自分たち一人一人が作り上げていると思います。





世界から見られているのは日本を構成している一人一人。





自分はスペインリーグでプレーする唯一の日本人なので、必然的に日本人ということを意識せざるを得ないですが、W杯を見て更に自分自身の行動に責任を持とうと思いました。





着地点の見えない文章になってしまいましたが、とにかく日本代表には次のギリシャ戦も全力で戦って欲しい、そう願うだけですね。





Vamos Japon!!