一週間。

何やら神様と遠ざかっているような良心の呵責はあるものの、戻り方が分からない状態で


「神様の愛が分からない」「いや、受ける努力がないからしょうがない」


「受ける努力って何??」 「日々のお祈りとか」 「だって祈れないんだもん!!」


とぐるぐるぐるぐるしていました。



礼拝のあとも心が重~~~いので、訓読することに。


選んだのは、原理講論チャート式1時間用。これ、最初のページがお父様(文鮮明先生)の祈祷文で始まっているのです。


この祈祷に私の涙腺は決壊してしまいました。


内容的には本当の自分(堕落していない、神様の子供としての自分)の姿を思って頑張りますから、導いてください、というような内容。(今手元にないので原文は本を参照してください。)


なんだか、今の自分はどうしようもないけど、神様が創造したとおりの堕落性のない自分はこんなじゃない、とメシヤが祈ってくださっている事に何やら許しと愛を感じたのです。


もう、涙がだ~~~っと出て訓読どころじゃなくなりましたが、心はとっても軽くなりました。


(代わりにまぶたは2倍くらいに腫れて重かった)


神様。訓読で愛を感じることってあるのですね。訓読すごい。

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