女優の清水富美加氏の出家ニュースが最近多いね。
個人的にはどうでもよいのだけれども、そもそも「宗教」というものには小さいころから思うところがある。
それは、ほかの人を不幸にするような宗教は、「宗教」として存在してはいけないのではないかということ。
当然のことだと思うだろうけど、迷惑をかけていない宗教など無いのではないかと思う。
また、そもそも「宗教」というものは、人間のココロの弱さを補うためのものとして発生したものだと考えている。
元来人間はココロのか弱い生物であり、かくいう私自身も強いとはいえない。
そんなココロの弱さに、悪く言えば漬け込む宗教というものはよろしくない。
確かに宗教では勧誘する方(影響力を拡大したいとか)、勧誘される方(なんでもいいから安心したい)で利害が一致することが多いが、客観的な立場からみれば、勧誘する方(強いもの)が悩んでいる人(弱いもの)のココロを自分の都合の良いように洗脳しているようにみえる。
さらにお布施(経済的便益)など求めるのはおかしい。
すると、強制じゃないですよ、と言われそうだが、悩みを抱えた人に対しては、お布施という単語がすでに強制と同様の効果をもたらしていると感じる。
お布施が必要なのは勧誘する側が「宗教」を超えて、ビジネスがしたい、もしくは純粋な「宗教」活動以外のことをしたいからなんだろうと思う。
最低限のやりくりができないから、、、という考えの人もいるかもしれないが、そもそもやりくりを考える宗教などなくなってよし。
本当の「宗教」というものは自然発生的に生じ、なにをすることもなく続いていくもので、誰もが傷つくことのなく、そして誰にとっても都合のよい、ココロの安寧をもたらす理念そのものと考える。
私自身が何教か?親は一般的な仏教を世間並みに受け継いでいるけども、私自身は適当教(初詣するし、お寺にお参りについていくし、クリスマスのお祝いするし)か、自分教です。
頼るものは時にいろいろ都合がよいものですが、最終的に信じるものは己の力のみです!!
話は戻って、清水富美加氏の場合は、頼れるものも自分の力も現状では足りていなかったんでしょうね。
とにかくなんでもいいから癒されたいという状況ですね。
いつの日か自律できるよう気楽にがんばってくださいね!