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高校を卒業したフジサキは、音響専門学校に入学します。

その理由は、芸能ビジネスについて学びたかったから。

アイドル運営をポンコツに全力で行っていた私は、

本当の芸能界について、きちんと学ぶ必要があると感じました。


学びました。
しっかりと。



自分の性格を知る


まず第一に大変だったことは、毎日どの授業も変わらない顔ぶれで受ける授業でした。

高校は定時制で単位制だったため、全員が自由に授業を組みます。

どの授業も違った顔ぶれで、人間関係も濃くはありませんでした。


専門学校はそうではありません。

入学前に理解はしていませんでしたが、ここまでストレスなのかとそれだけで絶望しました。

高校時代は誰かといることも、ひとりでいることも普通でした。

それが専門学校では、トイレまで一緒に行かされるのです。
(もちろん学校で強制されているわけではありませんよ)


やさしさだとは理解していますが、ひとりでいると

「なんでひとりなのー!一緒に話そうよ!」

と声をかけられ、
ぼっち飯を堪能できる居場所さえないのです。

もちろん友人と話していて楽しい思いもたくさんしました。

でも、
苦痛でした…


人間関係が色濃く、ついさっきまで仲良さそうに話していたはずの人の悪口を言うような環境に

フジサキの心は悲鳴をあげていました。


あ、わたし社会向いてないんだなあ…


そのときからぼんやりと、会社に就職することはやめておこうと考えていました。


もちろん、そんな環境を選んだフジサキが悪いです。

ですので、友人たちには

「ひとりでいるのが楽で、好きなんだ」

ときちんと伝え、様子をみて休憩時間を作るようにしていました(笑)


障害を個性として受け入れなければならないという風潮


専門学校で仲良くなった友人でAちゃんという子がいました。

彼女はまじめで礼儀正しく、頼られる存在でした。


でも会話のキャッチボールができません。

「ひとりでいるのが楽で、好きなんだ」

が一切通じませんでした。



彼女が一切悪意なく私のそばにいることは理解していました。

自分が話すのに手いっぱいで、私の話を聞けないことも、
我慢しました。

なぜなら、私はそれが彼女の脳の仕組みが原因だと思っていたからです。

彼女自身がそれを打ち明けたこともなければ、自覚しているのかもわかりませんし、診断を受けたのかもわかりません。

ですので決して断定はしませんが、私はAちゃんが発達障害を持っていると思っています。


もちろん、社会に向いてない私も、もしかしたら何かしらの障害をもっているのかもしれません。



だからこそ私は我慢しました。
受け入れようと努力しました。

それが当たり前で、今の社会がやるべきことだと思っていたから。

でも私の心は限界でした。


私は彼女の話を聞くだけで、彼女はそれに対するリアクションにさえ反応してくれず、スマホを触っている様子をみて、

もう無理だと思いました。


学校に通って授業を受けたいのにAちゃんのことを考えると、足が動かなくなりました。

このままではいけないと思い、彼女にメッセージを送信しました。



「傷つける言い方しかできないけどごめんなさい。
Aちゃんは、あまりにも自己中心的すぎます。
もう一緒にいることはできません。
授業もひとりで受けたいし、お昼もひとりでいさせてください。」




賛否両論、意見はあるかと思いますが、当時の私の精一杯でした。

ここまで言わないと、私の心を守れないと思いましたし、彼女も気付かないと思いました。


その後、彼女を傷つける形になってしまいましたが、
彼女も理解してくれて、少し平和な学校生活を取り戻すことができました。


今、障がい者の雇用問題などが話題になっていますが、

障がい者なんだから受け入れなければいけない、と言われたってやはりそれは難しいことです。

ひとりひとり臨機応変に対応しなければいけないということは、
そのパターンは人数分あるわけで、

一般的なことを義務教育で教え込まれた私たちにとって、すべてに対応しろ、受け入れろというのは非常にむずかしいことです。


それに例えばAちゃんの場合、その症状が障害ではないのだとしたら、ただの人権無視だと思います。


それをいかにして柔軟に対応できるように、根本的なところから人々に教えこんでいくのかが課題だと感じました。

ある意味でのスルースキルのようなものが、私やこれからの社会にしみついていけばよいのかなと思います。



恩師との出会い



ずいぶん話題がそれてしまいましたが、この専門学校で、恩師と出会います。

その先生は、国民的なアイドルやタレントをプロデュースしてきた人で、

まあ癖の強いおじいちゃんでした。


初回の授業で

「いまこの教室に急に生き物が入ってきました、それはなに?」

と聞かれたので「ゴリラ」と答えたら、

人生ではじめて0点もらいました(笑)


その授業は感性を養うような授業で、意味のわからない課題ばかりやっていました。

窓から見える世界で動くもの200個書き上げたり、
先生が黒板に書いた絵が何に見えるか紙にかいて、それを評価されたり。

評価の基準がわからなければ、そもそもやっている意味がわからないので、授業を受けに来なくなる生徒が大半でした。


しかし私は、確信をもってこの授業に挑んでいました。


この授業を受ける意味も理解できずに、どうやって他人を理解してその人をマネジメントしたりプロデュースしようっていうのか、そっちのほうがわからなかったからです。


そして、この授業の最終課題は

「自分の嫌いなものアレンジして、他人におすすめしなさい」

というものでした。
まさにプロデュースそのものです。

私が嫌いなものとして選んだのはハーフアップお団子でした。



私は私自身が納得する答えを見つけることができず、残念な成績で終わりました。

なんで私がこの髪型を嫌いなのか理解できませんでした。


最後まで教室に残り、悔し泣きする私に恩師はこう声をかけてくれました。


「たしかに君は、自分のことを理解できてない。でもね、どうしてそうなのかを常に考えていれば、
いつか答えが出てくるから。意識して生活してみるといいよ。」





この言葉の通り、自分が行動したことや感じた気持ちに、常にどうしてそうなのか疑問を持つようにしました。

そしてそれは、幼馴染のほんの些細な一言で、解決することになるのです。



ちなみに、どうしてハーフアップお団子が嫌いだったかというと、
当時(2017年)ものすごく流行って、女子という女子がこぞってこの髪型をしていて、
何かの軍隊とか教祖様みたいな人からの命令みたいで気持ち悪かったからです(笑)
みなさん好きな髪形をすればいいと思います!



【フジサキ史⑤】20歳編につづく