イメージ 1   終戦後  のお話です
   外国の方が  書かれた記事です
   良いお話ですので  
   観て頂きたく  載せました

   私の国  カイゼル陛下 にしても
   生前中 は  神の如く
   慕われていた ヒットラーも

   ところが  最近 
   日本から来た  記録映画をみて
   驚きました
    何と言う命知らずの大胆なやり方であろうか
   いつどこで殺されるか   こう思って
   映画を見ていました
   しかし 驚いたことに 国民の日の丸の小旗をイメージ 2
   打ち振って天皇を なぐさめています
   こんな美しい国の元首と国民の  心から
   の親しみ  心と心の結び  これは
   何処にも見られないことです
   我々は 改めて 日本を見直し 日本人を
   尊敬しなければ ならないと 思っています
   日本の天皇の 特質とは
   日本の天皇の特質を知る上で
   遥かに大切なのは 中世史です
   中世史が 意義深いのは  長い時間をかけて
   天皇を 権威だけの 存在として残し
   実務権力の方は 幕府が 坦うという世界で
   まれにみる 特異な  権  権分離  の 政治
   体制を作り上げたからです
       こうした 特質があるために 諸外国の王は国が 分離の
   危機にさらされると   今まで 巨大に 観えたものがイメージ 3
   あっけなく 崩壊してしまう例が多いのに  反して
   必要とされるものに なったのです
   日本の天皇は 国が 分離の危機に 遭遇した時こそ
   日本の天皇に この性格が あったからこそ
   日本は 明治と戦後の2回に渡って
   離れ業を演ずる事が出来たのです
   とりわけ 昭和20ねんの敗戦の際  世界の敗戦国の
   常識を破った形で 天皇が生き残る事ができたのは
   一種の奇跡とさえ言えるものなのです
   アメリカは敗戦で 天皇は日本にいられなくなると考えまし
   亡命先として ロンドンや北京を 考えていました
    ところが 昭和天皇は亡命どころか 国民の為に
   自分の命は どうなってもいいと 意外な事を言われました
   地方巡幸が  まさに そのことの 実践だったのですイメージ 4
   私は 天皇陛下が 終戦の翌年から全国を 巡幸されて
   いたと言うことを 知って、大変驚きました。
   学校で習った記憶もありませんし このようなことを
   話題にする環境でもありませんでしたから
   これを知って 日本人と天皇陛下の関係に感動しました
   日本人と天皇陛下との関係と言う物は
   長い歴史の中で培われ
   他の国では 考えられない、お互いを助け
   合うような不思議な関係に見えます
   そして普段、意識しなくても日本と言う国の
   根幹になっているんだなぁ、と思いました
   その様な事思うと、こんなに素晴らしい国に生きている私達は、
   なぜ 日本に、
   日の丸や国歌に誇りが 持てないのでしょうか????
   大変素晴らしい国に生まれてきたと言うことを、
   もう1度よく考えた方がいいのかもイメージ 5
   しれません
   

  
    終戦後
    天皇は
    私の命において 全てが行われました限り
    日本には ただ一人の戦犯もおりません
    絞首刑はもちろんのこと 如何なる極刑に処されても
    いつでも応じるだけの覚悟はあります
    しかしながら  罪なき80000万の国民が
    住むに家がなく 着るに衣なく
    食べるに食いなき姿において
    国民たちの 衣食住の点のみに
    ご高配を賜りますように
    重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように と
    皆さま方   日本は 8000万人と 言いました
    一億の民から朝鮮半島と台湾  樺太を はじめイメージ 6
    全てを差し引いて どうして8000万でしょうか????
    じつは  6600万人しか いなかったのです
    米国大統領からは  日本に1000万の餓死者を
    出すべしと   マッカーサーに 命令が 来ていたのです
    ただ一言   マッカーサーは  
    陛下は 磁石だ   私の心を 吸いつけた  と
    言いました
    それが あとでばれてしまいます
    彼が解任された最大の理由は それであったと言うのが
    事の真相です
    
    終戦の翌年 昭和21年から29年にかけて
    全国を巡幸されました昭和天皇についてご紹介いたします


    ローマ大帝国も  ナポレオンの国でさえも  一度戦いに負ければ
    滅びています
    殺されるか  国外追放で 寂しく死んでいます
    日本の天皇も そうだと思っていました
    如何に生きるべきか  どう生きるべきかと言う規範さえも
    失い 啞然とし 廃と恐怖と飢えが  人々を 支配していました
    そのきっかけが  昭和天皇の全国行幸です
    昭和21年から  神奈川県を 皮切に  昭和29年のイメージ 7
    北海道まで  足掛け8年半にかけて行われました
    全行程は  3万3000KM 総日数は165日に 及びました
    一年365日  常に式典 や 祭事  他国の元首
    その他の訪問  政府決定の承諾等があり
    その数なんと年間2000件を 超える ご公務が
    あるのです   お忙しい日々を 割いて
    全国を行幸をされたのです

    天皇が 敗戦で  大混乱の 焼け跡を 廻って
    おいでになる姿です
    しかも  二年もの長い間 北の端から
    南の端まで  焼き払われた廃墟を 廻って
    国民を 慰めておられる
    陸軍も海軍も  解体されているので
    一兵の守りもないのに無防備のままで
    巡っておられる
    平穏無事な時でも 一国の 主権者が
    自分の国を 廻られるその時には
    厳重な守りが なされている
    それでも  暗殺される王様や 大統領がいる
    それなのに  一切の守りもなく 権力 兵士の 守りも
    無い天皇が 日本の北から 南まで
    焼き払われた廃墟を巡る  国民を慰める
    この 戦争によって 先祖からの領土を 失い
    国民の多くの 生命を 失い 大変災厄を 受けたイメージ 8
    この際  わたくしとしては  どうすればいいのかと
    考え 又  退位も考えた
    しかし  良く考えた末  この際 全国を隈なく
    歩いて国民を 慰め 励まし
    また  復興の為に 立ち上がらせる為の 勇気を
    与える事が  自分の  責任と思う
    ひろひとのお陰で父親や夫が 殺されたんだからね
    旅先で 石の 一つでも 投げられりゃあいいいんだ
    ひろひとが  40歳を 過ぎた 猫背の小男と
    言うことを 日本人に 知らしめてやる必要が ある
    神様ではなく 人間だ  と 言うことをね
    それが 生きた民主主義の教育と 言うものだよ
    昭和21年2月 昭和天皇が 全国御巡幸を
    はじめられた時  占領軍総司令部の高官たちの間では
    こんな会話が 交わされていました
    しかし  その結果 は 高官の期待を
    裏切るものでした
    昭和天皇は 沖縄以外の 全国を
    約8年 半かけて  回られました
    行程は 3万3千㎞  総日数 165日
    各地で 数万の群衆に もみくちゃにされましたが
    石一つ投げられた事はありませんでした
    イギリスの新聞は 次のように 驚きを 率直に
    述べました
    日本は  敗戦し 外国軍隊に 占領されていますが
    天皇の 声 望はほとんど衰えていません
    各地の 巡幸で  群衆は 天皇に対して 超人的な
    存在 に 対する ように 敬礼しました
    何もかも  破壊された 日本の社会では
    天皇が唯一 の 安定点を 成しています
    イタリアの エマヌエレ国王は 国外に 追放
    され 長男が即位しましたが
    わずか 1か月で 廃位に 追い込まれました
    それに対して 日本の国民は まだ  
    現 人神  (あらひとがみ )  と 言う
    神話 を 信じているのでしょうか?
    欧米人の常識では  理解できない事が
    起こっていたのです

   今年は  明治天皇から 昭和天皇の
    事を 調べていくと  本当に  凄い方だと思いました
    誇らしいです

    昭和天皇のお言葉
    雑草と言う名前はありません
    草花には  名前があります
    の  天皇陛下が  新種の草花を お持ちだと記事観ました
    人柄が観えそうです