ヒサコーボンバー | 踏み切ってジャンプ

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つい先日(8月14日)に亡くなったそうです。



ヒサコーボンバー


父 サンキョーショウリ

母 フミノイメージ (母の父 ダンサーズイメージ)


1993年5月20日生

栗東:西園厩舎


通算成績 48戦10勝(うち障害18戦7勝)



ヒサコーボンバーといえば、高田潤騎手に重賞初騎乗・初勝利をプレゼントした馬でした。

2001年の小倉サマージャンプでのことでしたね。


同期にはエアグルーヴやダンスインザダーク、バブルガムフェローといった馬たちがいましたが、デビューが4歳(旧年齢)となっての未出走戦だったこともあって、これらとの対戦は皆無。


平地で2勝を挙げた後に、1999年5月8日に障害入りすると、初戦をいきなり突破しました。

この年は障害改革元年で、それまで存在した400万下というクラスが撤廃。

未勝利を勝って、いきなり障害オープン馬になります。


すると、障害入り後の4戦目~8戦目までを5連勝。

その中には阪神ジャンプステークス(J・GIII)も含まれていました。

この年にこのレースを勝ったということは・・・要するに、栄えある第1回阪神ジャンプステークスの優勝馬になったということですね。

また、この阪神ジャンプステークスの前に出走した平場オープンでは、62kgの斤量を背負いながら2着につけた差が5秒2という超大差。

まさに圧巻そのものでした。


その後は勝ちに見放されていましたが、2001年の小倉サマージャンプで重賞2勝目。

この勝利は上述の通り、高田潤騎手の障害重賞初騎乗・初制覇でもありました。


引退後は鹿児島の乗馬クラブに移ったそうですね。

さらにその後のことは私もよく知らなかったんですが、先日亡くなったということを耳にしました。



さて、なぜこのヒサコーボンバーについて書いたのか?

それは今週末行われる小倉での障害オープン。


先日の記事にも書きましたが、この競走が行われているこの時期はかつて『豊国(とよのくに)ジャンプステークス』という障害オープン特別が行われていた時期でもあります。

第6回をもって休止されていることもあり、現在は行われていない競走ですが、この豊国ジャンプステークスの第1回優勝馬がヒサコーボンバーでした。


時代が時代だけに、なかなかYou Tubeでもヒサコーボンバーのレースがなかったんですが、ようやく1つだけ見つけましたので、ぜひご覧になりながら、そしてヒサコーボンバーを偲びつつ、週末の障害オープンを観戦してみてはいかがでしょうか?


ちなみにこのレースは、1999年9月11日の阪神競馬第5レース:障害オープンです。








【投稿者】 ぼや