さてと、今度はこの馬に手を出そうかな。
ブゼンキャンドル
父 モガミ
母 ブゼンスワン (母の父 アスワン)
通算成績27戦4勝(うち障害4戦1勝)
この馬は、障害入りする前にGIを勝っていますね。
そのことはあとで触れます。
まずは血統から。
父モガミはもう深く触れなくていいでしょう。
これほど障害での活躍馬を出した種牡馬は他にいないと思います。
母系は・・・か、書けない・・・。
てか、他に平地の重賞勝ち馬が一族にいない・・・。
強いて挙げれば、ブゼンキャンドルの姉の仔に地方で15勝を挙げたキョウエイサンドがいるくらいか・・・。
ブゼンキャンドルの産駒にも、ダノンインスパイアがいるくらい・・・。
ということで、血統解説では初めての不戦敗・・・。
くそー、ブゼンキャンドルめ、やるな・・・(何をだよ・・・)。
とまあ、こんなことを書いてみましたが、実は3代母のムーテイイチというのがいて、この馬が最優秀障害馬のタイトルを獲ってるんですね。
しかも、このムーテイイチの主戦騎手は松田博資現調教師でした。
しかも、このムーテイイチの母ブゼンアサイチの弟には中山大障害を制したハクオーなどもおり、障害では比較的活躍していた一族なんです。
さてさて、いきなりの脱線ですが、ブゼンスワンにモガミを付けた理由は、このムーテイイチが果たせなった中山大障害制覇を託すためだったんです。
ムーテイイチは最優秀障害馬のタイトルを獲得はしましたが、中山大障害には勝っておらず、その選出においても選考ではナスノセイランという中山大障害を勝った馬が選出され、その後の選考委員会で逆転。
最優秀障害馬のタイトルを獲ったわけですが、決して障害の頂点を獲った上でのタイトル獲得ではなかったんですね。
こうして生れたブゼンキャンドルは後掲する通り、秋華賞(GI)を勝ちますが、このときすでに生産者である上田牧場は廃業・・・このブゼンキャンドルが最後の光となってしまいました・・・。
じゃ、戦績に・・・。
デビュー戦は1998年11月14日の新馬戦。
3番人気で6着でした。
その後、6着→3着→6着と続き、2歳(旧3歳)時を未勝利で終えると、明け3歳初戦に未勝利戦で初勝利。
つづく500万下も勝ち、連勝。
この500万下では、後にスプリングSを勝つワンダーファングに勝ってますね。
この連勝でオープン入りすると、クラシック路線に向かいますが、まずはエルフィンSでゴッドインチーフの7着。
報知杯4歳牝馬特別(現:フィリーズレビュー)ではフサイチエアデールの9着。
この時点で桜花賞への道は閉ざされ、矛先をオークスへ。
出走したスイートピーS(オークス指定オープン)ではフレンドリーエースの9着・・・。
これでオークスへの道も閉ざされ、その後オープンを1走した後は自己条件へ。
やっぱり900万下なら力は上位だったんでしょうね。
勝てないまでも好走を繰り返し、ローズSへ出走。
春はトライアルですら、ケチョンケチョンにやられていましたが夏場に力をつけていたのか、ここでは3着を死守。
秋華賞への優先出走権を貰っちゃいました。
この時の鞍上は、ローズSにおけるミスター3着・飯田祐史騎手。
(すんません・・・今年のキョウワジャンヌといい、このイメージが強くて・・・)
このローズSでの優勝馬はヒシピナクル。
一方、ハナ差4着に退けたのはトゥザヴィクトリーでした。
迎えた秋華賞。
ここでの鞍上は安田康彦(敢えて「騎手」とか「さん」は付けません・・・理由はお分かりかと・・・)。
レースは後方3番手から徐々に進出する形で、終わってみれば早め抜け出しからの優勝。
このときブゼンキャンドルは12番人気。
2着には最後方から追い込んできたクロックワーク。
これが10番人気。
この時代、発売されていた馬券は、単勝、複勝、枠連、馬連の4種類のみでしたが、3着に2番人気だったヒシピナクルが入ってくるとはいえ、三連単があったらどんな配当になっていたのか考えると、後にブラックエンブレムが勝った秋華賞を想像してしまいますね。
またまた脱線。
秋華賞というと、どうしても荒れるレースというイメージがありますね。
そのイメージを植え付けたのが、この年の秋華賞の実況。
『今年も荒れたぞ!秋華賞!』
ま、荒れたことに間違いはないんですが、2年連続の馬連万馬券。
しかもこの年が第4回目の秋華賞だったんですが、4回中3回が万馬券ではそうもなります。
ちなみに、1度だけ馬連万馬券でなかったのは第2回。
メジロドーベルとキョウエイマーチで決まり、馬連配当360円・・・。
そうかと思えば、翌年の第5回秋華賞はティコティコタックが優勝し、武幸四郎騎手がGI初勝利。
この時は2着にヤマカツスズラン(池添謙一騎手)が入って、やっぱり万馬券。
それ以降は、テイエムオーシャンやらファインモーションやらスティルインラブやらスイープトウショウやらエアメサイアやらカワカミプリンセスやらダイワスカーレットやらで落ち着いていたんですが、やってくれたのが岩田騎手。
ブラックエンブレムで三連単1000万馬券を演出してくれちゃいました。
ようやく落ち着いた『荒れる秋華賞』のイメージを元に戻してくれちゃいましたね。
こうして名前を出してみると、コーシロー、イケゾエ、イワタ・・・まぁまぁ・・・。
ちなみに第1回の万馬券については、パドックでフラッシュ撮影をしてエアグルーヴの平常心を奪った心無いファンがいたことも要因の1つですから、敢えて書きませんでした。
フラッシュ撮影とかゴール前の馬券や新聞の投げ上げとか未だに目立ちますよね…
小倉のゴール前ジャンプがかわいく見えます…。
さて、話を戻しますが、その秋華賞の後は4戦するもすべて二ケタ着順となり、2000年4月29日に初障害を迎えることになりました。
元々、障害練習はしていたんですが、ローズS3着が引き金となって入障延期。
その間にGI勝ったわけですから、その選択は間違いではなかったのかもしれません。
障害初戦はいきなりの1番人気に。
結果はマキハタコンコルドの3着。
続く未勝利戦も1番人気。
ここではハクサンラッキーの2着。
3戦目の未勝利も1番人気。
タケノシンボルの2着。
そして迎えた障害4戦目。
待望の初勝利!
ここまでの4戦全て1番人気に支持され、馬券からは一度もハズれませんでしたね。
でも、実はこれが障害最後の競走でした。
血統の割にはあまり飛越が上手くなかったんですよ。
なので、オープンクラスで戦えるだけの飛越技術をつけるまでに相当な時間もかかるでしょうし、もしかしたらそもそのも飛越センスがなかったのかも知れません。
陣営はすぐに平地に戻し、以降重賞を4戦しますが、全て二ケタ着順となり、現役を引退。
その後はノーザンファームで繁殖入りしますが、昨年10月の繁殖馬セールで那須野牧場に購入されました。
うーん。
この馬もそうなんですが、どうも障害飛越が上手くないんですね・・・。
書いている途中で記事が消えてしまったメジロパーマーもレースが終わると傷だらけになって帰って来たというくらい障害飛越が上手くなく平地に戻したというエピソードもありますし。
それでも勝ててしまうわけですから、やはり平地で重賞、特にGIを走れる馬の能力というのは1枚も2枚も高いのかも知れませんね。
それが例え展開の利とか、恵まれて好走したとしてもね。
さてと、次は何を書こうかな・・・。
【投稿者】 ぼやっきー