障害を経験したアノ馬たち ~エイシンガイモン~ | 踏み切ってジャンプ

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意外だと思うでしょ?


この馬、障害を3回経験しているんですよ。



エイシンガイモン


父 シアトルダンサーII

母 メドウミスト (母の父 アイリッシュリヴァー)



例によって、血統から。



近親にはアークティックターン(種牡馬)くらいしかおりませんが、一族までその範囲を広げると、ランズダーン、ワッスルタッチ、テューター、レイクコモ(全て種牡馬)がいますが、何と言っても、3代母バブリングビューティの姉にナタルマがいます。


この馬の名前を聞けば、競馬ファンなら誰もが知っているアノ名前が出てきますね。

そうです。

ナタルマの初仔として生れ、全世界にその血統を広げた名種牡馬ノーザンダンサーですね。


この血統は他にもデインヒルなどがいるので、書き始めたらキリがないので、ここで止めておきます・・・。




さて、このエイシンガイモンですが、デビューは1995年10月7日、京都競馬場での新馬戦でした。

単勝1.4倍の圧倒的人気に応えてデビュー勝ち。


続く黄菊賞では後の皐月賞馬・イシノサンデーに1馬身半及ばず2着だったものの、ナナヨーストームやスギノハヤカゼには先着。


3戦目の白菊賞で待望の2勝目を挙げてOP入りしました。


そして挑戦したのは朝日杯3歳S。

ここには大きな壁がいましたね・・・。


バブルガムフェロー。

名門藤沢和雄厩舎の超優等生を相手に3/4馬身差の競馬をしたのは、この馬の素質の高さを表すものでした。

このレースに関しては、この記事の最後にもちょっとだけ触れてます。



年が明けて初戦は京成杯。

朝日杯に続く東上です。

ここではGIでの成績が買われて1.7倍の1番人気に推されるも、サクラスピードオーの7着に・・・。


関西に戻ってのきさらぎ賞。

これまた相手が悪すぎるって・・・


だって、このきさらぎ賞って、1着:ロイヤルタッチ、2着:ダンスインザダークだったんですよ・・・。

エイシンガイモンもそれらを相手に3着ですから十分強いんですけどね・・・。



ここでちょっち脱線。


このきさらぎ賞に出走し、7着だったドングリという馬がいました。

このドングリも後に障害を走ることになるんですが、どういうわけかこの馬、京都が大の苦手。

1回しか掲示板に載ったことがなく、その他は全て着外。

その1回も5着でした。

さらには、1回だけ出走した小倉競馬場。

ここでも大惨敗。


なぜかって???

それは・・・京都も小倉もコースの内側に『何か』があるんですよ。


それは・・・池。


ここまで言えば、あとは分かりますよね???


全然関係ないけど、京都(淀)が不得意だったヨドノヒーローという馬もいたっけ・・・。




さて、話を戻します。




きさらぎ賞の次はクロッカスSを使い3着。

NHKマイルC出走を賭けてのNZT4歳Sではファビラスラフインの2着。


そしてNHKマイルC。

これが栄えある第1回目のNHKマイルCでしたが、結果は8着・・・。


ここでちょっと休養・・・かと思ったら、なんと出走してきたのは1ヶ月半後。

単なるOP特別の菩提樹Sでした。


ここではさすがに力が違いますね。

あっさりと優勝。


そして古馬初挑戦の関屋記念。

この年の関屋記念はメンバーが小粒で・・・とは言え、やはり古馬の重賞であることには変わりないわけで・・・。

それでもエイシンガイモンは1番人気に推されて、結果、優勝。




さてさて、ここで2度目の脱線。


このエイシンガイモンが菩提樹Sを使った理由は・・・。

これはマンガ(馬なり1ハロン劇場)のネタでもあるんですが、関屋記念から逆算して武豊騎手が進言したものだったと言われてます。

しかも、なぜ関屋記念なのか?

秋まで休養じゃダメなのか???

ということになるんですが、実は武豊騎手はこのとき新潟での重賞優勝がまだありませんでした。


武豊騎手と言えば・・・


記録ゲットマニア


と称されたほど、数多くの記録を樹立し、また塗り変えてきたわけですが、当然その1つに『全10場重賞制覇』というのがあったわけです。

その当時、これを達成したのは安田富男(元)騎手だけでしたからね。


そのためにエイシンガイモンを新潟の重賞に向けてローテを・・・なんて揶揄されたもんでした。


ちなみにこの記録は、未だ3名(安田富男、武豊、藤田伸二)しか達成していませんね。




話をまたまた戻します。


その後のエイシンガイモンは惨敗が続きますが、翌年の関屋記念で優勝。

連覇を達成。


その後は16連敗を喫し、セントウルSで重賞3勝目。




そして、その翌年の2000年6月24日に障害入りを果たしました。


初障害は落馬競走中止。

障害2戦目の小倉で2着した後、3戦目で障害初勝利を挙げました。


障害での3戦は全て熊沢騎手が手綱を取りましたね。



しかし、残念ながら、この勝利がJRAでの最後の勝利・・・いや、最後のレースとなり、その後は笠松、高知へと。

地方競馬で計3戦しましたが、勝つことはできずに現役を去りました。




このエイシンガイモンですが、朝日杯3歳Sでは武豊騎手自身が『最高の騎乗をしても勝てなかった・・・』というほど完璧な乗り方で挑んだんですが、バブルガムフェローに敗れました。


そしてもう1つ。

上がり3ハロンのマジックを教えてくれた馬でもありましたね。


それは何か???


このレースの上がりタイムは、エイシンガイモン35秒6に対して、バブルガムフェロー35秒7。

しかし、レースはなぜがバブルがエイシンを差し切っているんですよ。

結局、レースの上がりは参考程度にしかならず、このレースではバブルが最後の50~100mの脚が鬼のような速さであって、600mで見たらエイシンガイモンの方が速かったということなんですね。


こういうことって、レースの結果を見て回顧したり、馬券検討するにあたって重要なことなのかも知れませんね。

単純に数字だけでは計れないことを教えてくれたレースでした。




さてと、次はどうしよう・・・。



【投稿者】 ぼやっきー