ちょいと間が空いてしまいました。
そうかぁ。
この記事も早くも10本目かぁ~。
とりあえず、ネタ切れしないように頑張ります。
(そのためにノーザンレインボーとゴーカイを残してあるんですが・・・)
さて、今回は、
ランドパワー
を紹介しようと思います。
ランドパワー
父 グロウ
母 セリーヌバンブー (母の父 ハードツービート)
1995年4月9日生
障害では馬券圏内を外さなかった安定感を持っていましたね。
それではデビュー戦から振り返ります。
デビューは1997年7月12日。
小倉での新馬戦(ダート1000m)だった。
このレースではシンガリ負けを喫する。
次走、折り返しの新馬戦で芝を走り4着。
そして、3戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。
その後、3歳(現2歳)時は4戦を使い、勝てはしなかったが掲示板を外すことは無かった。
ここまでの間だが、ともに走ってきた相手としては、
1戦目 : スマートボーイ(後のダート重賞馬)
2戦目 : スエヒロコマンダー
3戦目 : スエヒロコマンダー、ミツルリュウホウ
4戦目 : アインブライド(後の阪神3歳牝馬S優勝馬)
ボールドエンペラー(後の日本ダービー2着)
5戦目 : キングヘイロー(後の高松宮記念優勝馬)
6戦目 : キングヘイロー、マイネルラヴ(後のスプリンターズS優勝馬)
7戦目 : パルシファル(ローゼンカバリーの弟)
らがいる。
錚々たるメンバーである。
3歳時は芝の中距離を使うようになって成績が安定した。
4歳以降も、芝の中距離~長距離を使われ、八甲田山特別、淡路特別に優勝。
そして、1999年5月22日に初障害を迎える。
障害としてのデビュー戦は中京での未勝利戦(芝2800m)。
ここを1番人気に応えて見事に逃げ切って優勝。
この時、2着には9馬身の差がついており、いきなり障害馬として素質の片鱗を見せた。
続く障害2戦目はその約10ヶ月後。
休み明けのせいか、人気はあまり無くファンの評価は5番人気。
しかし、ランドパワーは強かった。
12kgの馬体増、10ヶ月の休み明けをものともせず、楽な逃げ切り。
2着に5馬身差をつけての障害連勝。
なお、ランドパワーが障害入りした1999年は障害改革の年でもあり、すでに障害400万下は廃止。
したがって、2000年3月のこのレースは単なる休み明けではなく、昇級戦、しかもこれまでから1つ飛び級した形でのオープン挑戦だった。
障害3戦目はまたもや障害OP。
ここでは堂々の1番人気に推されたが、レースでは先手をレガシーロックに奪われた。
ランドパワーは2番手から前をいくレガシーロックを伺うが、捕えることはできず。
逆に道中、中団からやや後方にいたショウザンスカイがまとめて交わし、優勝。
レガシーロックは2着、ランドパワーは3着に終わり、障害3連勝はならなかった。
障害4戦目にして、OP特別に出走。
洛南ジャンプS(現在は行われていない)である。
前走、2番手からの競馬を強いられたが、それが活きたのか、このレースでは2番手での追走をガマンし、最後の直線で前を行くイブキマンパワーを捕えて優勝した。
続く障害5戦目はオープンに出走し、4番手からの競馬で優勝。
ここまでの障害成績は5戦4勝3着1回。
そして陣営はついに重賞に挑戦させることにした。
その重賞とは、なんと中山大障害。
重賞初挑戦がJ・GIである。
オマケに馬体重は18kgのマイナス・・・。
さすがにここは人気を落とすが、それでも単勝10.9倍の5番人気だった。
レースは果敢に先手を奪い、なんと逃げ切り勝ち。
最初の障害での落馬がレース中大きく影響したが、逃げていたランドパワーにはまったく関係なし。
展開的なものがあったにせよ、圧倒的1番人気だったゴーカイを2馬身半退け、重賞初挑戦初勝利を成し遂げた。
歳が明けた2001年。
阪神スプリングジャンプで復帰。
これまでの1番人気とは異なり、1.5倍という圧倒的な支持を集めた。
メンバー中唯一63kgという酷量を背負い、道中は3番手を追走するも、自身より3kg軽いダンシングターナーに6馬身差を付けられて2着に敗れ、これが引退レースとなった。
レース中に右前浅屈腱断裂を発症。
競走能力喪失の診断が下り、これが引退の直接の原因となった。
障害戦では7戦5勝2着1回3着1回と、一度も馬券圏内を外すことなく現役を退きましたね。
現在はインターナショナル牧場で功労馬として余生を送っているそうです。
さて、次回は何を紹介しようかな・・・ちょっと考えます。
【投稿者】 ぼやっきー