今回はレガシーロックを紹介しようと思います。
ノーザンレインボーかゴーカイを紹介しようと思ったんですけど、ある意味『切り札』なんですよね。
ネタが無くなったときの・・・。
ということもあり、また、1999年に障害競走改革が行われた直後の様相を描くのも良いかな?と思い、この馬を取り上げることにしました。
また、Legendと題していますが、何を基準にレジェンドとしようかと思っているんですけど、年間に10しかない障害重賞を勝っていればいいかな?と思い、それを今後も基準にしようかと思います。
レガシーロック
父 リズム
母 シーワイズ (母の父 モガミ)
1995年4月23日生
レガシーロックのデビュー戦は1997年11月29日。
中京での3歳新馬だった。
ここを3番人気で勝利。
見事デビュー戦を飾る。
この新馬戦には、後に東京新聞杯とダービー卿CTに勝ち、安田記念を狙う有力馬の1頭に数えられるも疾病(セン痛)により惜しくもこの世を去ったチェックメイトや、フサイチエアデールの姉にあたるアネーロもいた。
この新馬戦後は連戦連敗となる。
しかし、戦った相手には、
・ファレノプシス・・・さざんか賞(2戦目)
・スマートボーイ・・・寒梅賞(3戦目)
・スナークレイアース・・・500万下(4戦目)、500万下(7戦目)
・スエヒロコマンダー・・・ふきのとう特別(5戦目)
・マイターン・・・500万下(10戦目)
などがおり、どのレースにも何らかの後の活躍馬がいたことは事実でもある。
そして、1998年7月4日に入障。
障害初勝利は同年8月15日。
京都での障害未勝利(障害3戦目)だった。
この時、2着に下したのは平地時代に菊花賞にも出走したマルカシーズだった。
つづく障害400万下では1番人気に推されるも4着に敗退。
その後、いきなり格上挑戦した障害OPで白浜騎手に乗り替わる。
果敢に先頭を奪って逃げまくり、終わってみれば2着に9馬身差の大圧勝。
いわゆる『飛び級』でOP入りした。
続く障害OPでは1番人気に推されるも3着に敗退。
しかし、このときはゴーカイに先着を果たしている。
そして迎えた1999年6月12日。
初の重賞挑戦となった東京ハイジャンプで堂々の逃げ切りを果たし、重賞初制覇を飾った。
その後は惜しい競馬が続くが、初重賞制覇を達成した日から約1年後の2000年7月23日。
重賞2勝目を飾る日が訪れる。
小倉での小倉サマージャンプ。
やはりこのレガシーロックの持ち味は逃げ・先行でこそ活きるもの。
この小倉サマージャンプも堂々の逃げ切りで、62kgのハンデを背負いながらも2着には3馬身の差が付いていた。
しかし、この小倉サマージャンプが現役最後の勝利となる。
その後は、11戦を戦うが、2002年の阪神スプリングジャンプと2002年の新潟ジャンプSの3着が最高であった。
そして、2002年の阪神ジャンプSを最後に現役を退いた。
レガシーロックですが、母の父にモガミの血が入っていますね。
モガミはシンボリクリエンスの記事にも書いた通り、日本競馬史の中で最も障害界で活躍した種牡馬と言っても過言ではありません。
そして、戦績を見てみると、平地・障害を通して、1番人気での勝利が1度も無かったんですね。
数戦で現役を退いたならまだしも、生涯34戦を通してのものとしては珍しい部類かも知れません。
レースのスタイルとしては、道中前(少なくとも3番手以内)に位置していたレースでは全て掲示板を確保する一方、道中5番手以降でレースを進めたレースではいずれも着外。
しかもそれは2戦だけあったのですが、いずれもが東京ハイジャンプでした。
また、同馬は重賞リピーターと言いますか・・・。
東京ハイジャンプ・・・4回出走
京都ジャンプS・・・3回出走
小倉サマージャンプ、新潟ジャンプS、阪神スプリングジャンプ・・・2回出走
と、全部で10ある障害重賞のうち、上記3つに出走が集中しているのも趣深いところかと思います。
何せ、障害での23戦のうち、上記だけで13戦していますからね。
一方で、中山コースへの出走がただの1度もありませんでした。
やはりスピードとスムーズさを要求される障害への適性があったのかもしれません。
You Tube等で動画を探したんですが・・・すみません、ありませんでした・・・。
次回は未定ですが、重賞馬としてはメルシータカオー、ランドパワーのいずれかを書こうかと思っています。
ゴーカイとノーザンレインボーは・・・切り札として残します・・・。
【投稿者】 ぼやっきー