交錯する人 心 世界
時の流れすら知らずに、生かされていた。情報社会の中に融和し、意識は大衆化し、己の姿形すら忘れていた。むしろ、自分が個の存在であることも忘れていたのかもしれない。
ただ一人、少女は佇んでいた。アスファルトから脚は生え、長い髪から覗く虚ろな眼は何も捉えていなかった。通り抜ける人々が抱える思念の残滓だけが、彼女を構築する。
「明日の体育祭、雨で中止になればいいのに」
「何か面白いこと起こらないかなぁ」
「年金問題か……」
人外である少女は、人とは交われない。故に意識の同調を引き起こし、混濁する。
「まずい」
少年は学生鞄から携帯を取り出して呟いた。確認したサブディスプレイのアナログ時計は、揃って下を示す。どう足掻いても、塾には間に合いそうになかった。
「……面倒だなぁ」
こうなったのも身から出た錆なのだろうが、担任にだって少しばかり責任はあるはずだ。少年は、貴重な放課後を潰した憎き教師の顔を思い浮かべた。
今時遅刻した理由をいちいち生徒に確認するなど野暮なのではないか。顔色を見れば病気かどうかなど一目瞭然であるし、実際この少年には前科が山のようにあった。それでも、新任という立場からか、それとも純粋にまだ生徒を信じているのか。どちらにせよ、担任のおかげで少年は塾にも支障をきたすはめになったのだ。
まぁ、少年にはさして大きな出来事ではないだろうが。
「よし」
駅前の十字路。今日はまっすぐ進むべき道を少年は右に曲がる。つまり塾が終るまでの時間つぶし。
「サボりも楽じゃないんだけどなぁ」
同じ塾に通う友人にメールを入れて、なり始めたメロディと共に歩き出す。もう下校時刻はとっくに過ぎていたせいか、同じ制服を着た生徒は見かけなかった。証人は多いより少ないほうが、少ないよりはいない方が自分に有利だ。ほっと胸をなでおろし、いつもの公園へと向かう。
少年は、コンビニで買ったフランクフルトを食みながら信号待ちをしていた。すでに人通りは少なく、滅多に車が通らない道であることは十分承知している。しかし、先を急いだところで、特にすることもない。暇つぶしのために公園に向かうのだが、文庫本を持ちあわせているような性格でもない。メールをする労力も、正直今はない。何もすることがないのだ。
そんなことを考え、ぼうっとしているとがじりと串を齧ってしまっていた。歯に疼痛が走り、噛んでしまった方の顔面をさすりながら歩き出す。横断歩道を渡るのは自分ひとりで、誰にも間抜けな姿を見られなかった事に少し安堵した。
しかし、次の瞬間記憶がごっそりと抜けてしまいそうな痛みが少年の前頭部に走った。
少女は初めて味わう感覚と、胸にじわりと広がる感情にただただあんぐりとしていた。一方の少年も、目の前に突然少女が現れたことと、頭にいまだ響く痛みに目をぱちくりとさせる。人通りのない横断歩道に少年と少女は座り込んで顔を見合わせる。
少女をその場に縫い合わせていた脚は、既に白い靴を履いた人間の足として放り出されていた。からからとアスファルトの上を串が転がる。
「えーっと……」
躊躇いがちに声を上げる少年を余所目に少女は、折れた支柱に視線を落とす。人となった少女は、もう人とは同調できない。
しかし
「あなたは、誰?」
人となったが故に、人と混じり理解をする。少女は、自分という鋳型をようやく手に入れたのだ。初めて、ぶつかり合ったこの少年と出会うことで。