訳ありな青年と少年の二人暮らし② | じぶん改革~さえない女子大生の奮闘記~

訳ありな青年と少年の二人暮らし②

「うわ、わわわ。だああああああああ」

 華奢に見えて意外に力持ち。今の亘さんのキャッチフレーズはまさにこれだ。

「明日の朝までここで頭を冷やしなさい」

神社なんていったら、物置小屋だらけ。さらに付け加えるなら、ここは寂びれた参拝客もめったに来ないオンボロ神社。だから物置小屋、もとい軟禁場所には困らない。

「痛ってー……卑怯だっ犯罪だ!」

「あなたが悪いんでしょう。子供が首を突っ込むんじゃありません。そんな子供な、えいには後ほどランドセルをお届けしますよ。……宿題出来るくらいの明かりは設けてあるんですから、感謝してほしいくらいです」

亘さんは蹲って頭をさすってる俺を横目に、入口あたりの壁を触って電気をつける。痛みで揺らぐ眼で、亘さんを睨んだ。亘さんは、こっちを見ようとはしない。ずっと左手首を右手で揉んでいる。

「まさか亘さん、怪我した?」

放り投げられて転がっていた場所から一気に入口まで走る。

「そんな素振りを見せて、逃げる魂胆でしょう」

 しかし容易に右手で頭を掴まれた。こうなれば、もうリーチが完全に違うので亘さんに分がある。分もなにも、逃げる気はないけれど。

「違うって。心配してるんだよ、怪我」

「……はいはい」

頭の上に深いため息がかかる。完全に疑われている。こうなった亘さんはたぶん何を言っても信じてくれないし、まず聞いてくれない。信用云々の前に、行動が逃げを強く連想させてしまったのだろう。

「ちょっと待ってて!」

だから、敢えてその通りにする。緩んだ亘さんの手を避けて、俺は部屋を出た。

「あっ、待ちなさい! えいっ」

追いかけてこられてもまずいので、素早く戸を閉めて鍵をかける。何度か戸が前後左右に揺れた。少しの間をおいて中からヒステリックな亘さんの声が聞こえた。ちょっと、心苦しい。

「すぐに戻ってくるから」

「まったく、あれじゃ逃げたと思っても仕方ありませんよ」

「だって、鍵閉めなきゃ亘さん追いかけてくるじゃん」

「当然でしょう」

 亘さんの左手首に白い包帯をぐるぐると巻く。あのあと俺は母屋まで戻って救急箱をとってきた。他でもない亘さんの手当をするために。それなのに戻ってきた俺を見るなり亘さんは俺を叩いた。叩かれた頬は触ってみると少し熱をもっている。熱に対して痛みは大したことないのだが。とにかく、亘さんは説明する暇も与えてくれなかったのだ。説明したら説明したで、また怒られてしまったけれど。

「えいを持ち上げたくらいで怪我するなんて、思ってもみませんでしたよ」

こんなに小さいのにね。と付け加えられる。

「子供だと思ってるんだろ。俺のこと」

「小学生なんて子供以外の何物でもありませんよ」

「その子供持ち上げて怪我したのはどこのどいつだよ」

 皮肉も込めて、ぎゅうっと包帯をきつく結ぶ。亘さんの前髪が、微かに揺れた。綺麗な黒髪から見える眼は、少し悲しげだった。

「……大きくなったのかな、昔に比べたら」

亘さんは立ち上がると、そそくさと部屋を出ていく。罰続行の文字が頭をよぎったが、亘さんは五分位で帰ってきた。そして目の前に白い、学校で貰うようなプリントを翳される。何だ? と思った矢先。

「読みなさい」

許可が下りた俺は亘さんからプリントを受け取る。難しい漢字がいくつか羅列していたけれど、重要な部分の読み取りにはかろうじて成功した。

「亘さん、また神主になるの?」

 それは、俗に言う協会からの要請だった。

 今ではすっかり寂びれているこの神社は、俺が来る前までは結構有名だったらしい。それは、祀ってある神なんかじゃなくて神主だった亘さんの力のためだったみたい。そういう力は、どっちかっていうと僧侶とかにありそうな気がするけれど、俺は神社と寺の違いがあんまり分からない。とにかく、六年前に突然神主を辞めた亘さんに協会が再び神主の職に戻れと言ってきているみたいだ。

「まさか。私にはもうその資格がありません」

左手をさすりながら、亘さんは笑った。どこかで、ほっとした俺がいた。安心した自分に気づいて、慌ててかぶりを振る。別に亘さんがしたくないならそれでいい、だから安心してるんだ。と、へんてこな考えを頭から振り落として、いい訳を頭に馴染ませる。

「……それが、今日階段に砂が乗り上げていた理由ですよ」

「へ?」

 無機質な明朝体の文字たちから眼を離して、亘さんの顔を見上げる。亘さんは俺の頭を撫でて言った。

「少しだけ大きくなったえいには話さないとね」

 ついてきなさい。と亘さんに手を引かれ、俺たちは物置小屋を後にした。

 亘さんは、神主に戻る気はないと言った。だけど、これから知るであろう過去と、予測できる範囲での未来。そして壊れてしまいそうな今を目の前に。出来るならば逃げ出してしまいたいと心の奥で思った。