訳ありな青年と少年の二人暮らし①
彼と俺の間には多くの契約がある。否、一方的に課せられた契約。
例をあげるならば、夕飯は六時。亘さんと一緒に食べること。門限は五時半。宿題はちゃんとやって学校に行く。それから、人を決して傷つけないこと。
家へと続く、長くて冷たい石の階段。昔、亘さんから百十三段あるのだと教えてもらった。ここで暮らし始めたばかりのころは何度か数えながら登ったりしたけれど、今ではすっかりそんなこともしなくなった。
じゃり、じゃり
運動靴が階段の上に乗った小石や砂と擦れて音を立てる。
参拝する人もだいぶ減った。俺に友達と呼べるようなたいそうな間柄の人間はいない。そして、亘さんにも居ないと思う。それなのに、こんなにいっぱい乗り上げた小石たちは誰の靴にひっついてきたのだろうか。
亘さんは、境内の掃除を欠かしたことはない。この六年間、ずっとだ。
「……よっ、と」
長年の勘で七十段。やっぱり腰かけた場所にも小石が散らばっていて、今度はお尻と擦れた。ほんの少し身体を後ろに倒すために地面にくっつけた掌にも小石は喰い込む。二三回、手をこすり合わせて落とすと掌はまばらに赤くなっていた。
「んんんんんー」
座ったままで大きく伸びをする。眼を閉じて、完全に伸びきってから腕を降ろして、同時に眼を開く。ほうっと息をついてから、空を見つめる。
亘さんは厳しい。もちろん自分にも厳しい人だけれど、預かっているという責任から来るのか、それとももっと別の理由があるのか、わからないけれど俺にはとにかく厳しい。五時半の門限など、同年代の女の子でも律儀に守る奴はいないと思う。別にやることもないから普通に破ったりはしないけれど。
「あー」
空がだんだん夜色じみてくる。冬が間近となった今から春にかけて、この期間を除くと俺は夕暮れなんか見れない。厳しい門限と、亘さんの性格上。だから、この季節は好きだ。張りつめた空気が頬を赤くさせる。鼻の奥が冷たくて、なんだか涙が出そうだった。
冬が近くなる。夜が近くなる。
「えい」
一際、冷たい空気が俺を刺した。背後からの振動は、冬の寒気のどこかそれに似ていた。
「あ。亘さん、ただいま」
凛とした声と、やさしい笑顔で迎えられる。
秋になるとうがい、手洗いも契約の一つに加えられる。たとえ子供だと認識されていても、もう小学六年生だ。それくらい自分で管理できる。
「それで風邪でも引いたらどうするの」
でも、亘さんは厳しい。そして心配性でもある。
一五歳くらい離れているけれど、この手の言い争いで亘さんが食い下がったことはない。ちょっとくらい信用してくれたっていいと思うけど、なにより心配されることは大事にされてるのだと勝手に解釈している。だから、悪い気はしない。
「ほら、大人の言うことは守りなさい?」
食卓に並んだ料理を目の前に、しぶしぶ台所に向かう。その様子があまりに可笑しかったのか、亘さんはくすくすと笑っていた。
「……いただきまーす」
それが少し悔しい。子供扱いは好きじゃない。世間一般からしたら当然のことながら自分は小学生、子供だ。だけど、亘さんには余計な心配も苦労もかけたくない。妙な環境で育ってきたためか、それとも亘さんという生真面目な人に育てられたからなのかは、分からないけれど。
「あ」
「……ん? どうしたの、えい」
「亘さん。今日、外の階段の掃除した? 石とか砂とか結構乗り上げてたよ」
生真面目で、心配症で、自分に厳しくて、実は仕事のない亘さん。だから、俺が学校に行ってる間は母屋と神社の掃除をしているか、たまに商店街で必要なものを買いに行くくらいしかすることがない。本人が苦笑いでそう話していた。それを証明するように、いつだって、この家は綺麗だ。埃なんて学校の掃除でしか見たことがない。
「うーん。したけど、今日はたくさん人が来たからかな」
それにちょっと風が強かったからね。と付け加えて亘さんは筑前煮をよそって俺に差し出してくれた。だけど、俺は筑前煮を睨んでそのままの視線を亘さんに向けた。
「なんの用事で?」
「えいには関係ありませんよ。安心しなさい」
「教えてよっ。なんの用事だったの、その人たち」
亘さんは喰い下がらない。だから早く筑前煮を受け取れと言わんばかりに強く、眼で制される。
だって、おかしい。六年間、同じような生活を重ねてきた。亘さんが綺麗に掃除した石の階段を昇って、この季節は座って空を眺める。それがいきなり多くの人が来るなんて。参拝客? 亘さんを訪ねてきた人? とにかくこの平穏が壊れてしまいそうで不安になる。それに少々の風が吹いたって、あんな不自然な量の小石はもちろんのこと砂もあるわけがない。六年間がなによりの証拠としてここにある。ずいぶんと理不尽な証拠としてだけれど。なんで亘さんは、妙な言い訳をするのだろうか。
「……食事、抜きにしますよ」
亘さんの表情は、長い彼の前髪に隠れてよくわからない。