Brogをなかなか更新できずにごめんなさい。手順がわるいので毎日走り回ってるような状況で日々が過ぎていく数年であります。本来ものを書くのが大好きで家で好きな本を読み、そして何か書く毎日ならどんなに幸せだろうかといつも思っています。でも、現実の生活はなかなか誰しもそういうわけにはいきませんよね(笑) いつかリタイアできたら(できるのかな?)、家じゅうに本を置いて、物書きになりたいなああ、、なんて夢みたいなことを思ったりしております。

 

前置きが長くなりましたが、わけもわからずほんのジャパン祭り本番の2週間前に知って申し込んでみたモーションギャラリーというクラウドファンディング、時間のない中であのページを作成するのは実は本当に初めての事でわからない事ばかりで不器用な私は非常に苦労しました。でもモーションギャラリーのスタッフの方々の温かい励ましを受けながらなんとか公開にこぎつけられたのです。そうしましたら、まさかの目標金額達成となり、本当に皆さまに感謝の言葉が見つけられませんでした。ありがとうございました。あまりにも嬉しくて嬉しくてこの感謝の気持ちをどう表現したらよいかと帰国した時にへたくそな文字で手紙を書いてみたりしました。全文手書きで書くと我ながらあまりにもへたくそでびっくりでこれは使えませんでした。すぐに破棄。。(無駄にした紙数枚)

それでタイプと手書きとうまく?下手な文字がわからないように工夫?してみましたが結局あまり綺麗にできませんでした。それでも全文手書きの下手な文字よりも救われたかも。手紙を書いた日を実は亡くなった父の命日にしてみました。実際投函したのはその数日前だったのですが。日本の郵便事情の素晴らしさから実際届いた日はその前日や前々日だったようです。手紙を開けてみた人は、あれ??日にちが変だなって思ったかもしれませんが、実はそのような事情がありました。

私はいつも手順がわるい上、それでアホみたいに余計いつも走り、走り、走り続けているのですが、でも毎日ありがたいと思って生きています。おおっざっぱでノー天気?な性格、変に正直で不器用な上、妙に潔癖、そして明晰な頭脳を持ち合わせていない為、理屈よりもかなり直観に頼るところも多いので周りの友達や家族にもいつもハラハラさせて心配かけております。ごめんなさい。

それから、遅ればせながらジャパン祭りの記事を昨日別のブログに書きましたのでお時間のある時にご覧になって頂けれ幸いです。写真もいくつか掲載しております。

ジャパン祭り2016 バロン西~飛翔~のロンドン公演無事に終わりました。

バロン西~飛翔~の動画を公開いたしました。

 

実は忙しさのあまりBlogでの報告があまりにも遅くなってしまいました。でもフェイスブックではオンタイムに記事をアップしました。それでなんかもう報告したような気になってしまっていましたが、フェイスブックはアカウントを持っていない人は記事が読めないかもしれないという事に気が付いておりませんでした。今もってこのあたりが使い方がよくわかっておりません。ごめんなさい。あんまり投稿はしていませんが、

私のフェイスブックはこちらです。

 

そして、

そうこうしているうちにジャパン祭り2016 バロン西~飛翔~ 津村禮次郎の能とバレエとピアノのコラボレーションの動画をやっと公開する事ができました。これも皆さまの温かい励ましと応援の元、この作品を造り上げる事ができました。本当にありがとうございます。お時間のある時に視聴して頂ければ幸いです。

 

津村禮次郎先生の温かい優しさとそしてぬくもりのある厳しさに包まれて今年も出演者および関係者も私も津村先生に引っ張って頂きました。私は津村禮次郎という方を能楽師として、そして人として心から大尊敬しています。津村先生のちょっぴりお茶目な部分も大好きです。

 

さて、いつか私がどうしてこんなにもバロン西に惹かれるのか、時間がある時に書いてみたいと思いますが、バロン西の事を知ったのは、私が小学生の小さな頃でした。ず~~っとこの方の事が頭の中にあってどこかで憧れ続けていました。その理由はいつか書きます。

 

バロン西~飛翔~(Baron Nishi ~Skyward~)は、西竹一の生涯を能とバレエとピアノで綴ったものです。

1932年外交官の息子として生まれた西竹一ことバロン西は、東京で生まれました。1912年に父を亡くした竹一は若干10歳で当主として男爵となります。馬術に興味をもった竹一はその才能を開花し、イタリアで大きな馬ウラヌスと出会うのです。そして1932年のロサンゼルスオリンピックの最終日、愛馬ウラヌスに乗って、世界の名だたる騎手を抑えて「障害飛越個人競技」で優勝し、見事に金メダルを獲得したのでした。この金メダルは日本の馬術界のみならずスポーツ界にとっても快挙でした。やがて、戦況が悪化し、1945年西竹一は硫黄島にいました。アメリカ軍からの投降に答える事もなくその硫黄島が陥落する直前の最後の最後まで彼は日本人としての誇りを失わずに生涯を全うしたのです。

西竹一ことバロン西が残した金メダルは、2016年の現在においても日本がオリンピックの馬術競技で獲得した唯一のメダルでもあります。

 

相変わらずまとまらない文章になってしまいましたが

この場所をお借りして

いつも支えてくださる方々、応援してくださる方々に心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。

本当にありがとうございます。

 

Lots of love & smiles

JUMI