バレリーナを目指して頑張ってる少女がここにいる女の子
名前は田口詩織ちゃん。17歳。

現在イギリスのイングリッシュナショナルバレエスクールの二年生。

田口詩織ちゃんは(2007年のNBAのバレエコンクールで第3位、女子では一位)で見事にカラーシップを授与し、
2007年の9月に
念願だったイギリスへのバレエ留学の夢を実現する。


JUMIの愛しきバレエの子供達

2007年12月、学校にて。

まだ一年生になって三か月目のころの詩織ちゃん



詩織ちゃんのような女の子は、
すべてが順風満帆に進んでるって思われやすいのかもしれないけれど、
でも、やっぱり苦しいこと辛いこともたくさんあったし、
あとはやっぱりそこまで来るために、
相当の本人の努力があったことは事実だ。


今日はそんな詩織ちゃんが、どんなふうに小さい時にバレエと触れ合ったかを書きたいと思う。



JUMIの愛しきバレエの子供達

同じく2007年12月当時の詩織ちゃん


詩織ちゃんは、5歳からカルチャーセンターで週1回、1時間15分だけバレエを習っていたそうだ。


そして
小学校5年生まで、の~んびりと、

コンクールもコの字も知らず、



ギエムも、



吉田都さんすら知らず・・・




バレエを習いながらも、
ある意味、バレエの情報とはまったく疎いくらい、


な~~~~んにもバレエのことを知らずに



ただバーにぶら下がり??ウサギ




ただセンターでのびのび動きまわってる??馬




そんなことが楽しいような
素朴な女の子だった


また小学校のころは、
バレエよりもピアノのほうに熱がはいっていて、
その腕前はなかなかのものだった。




そういえば、我が家に泊まりに来た時に、
なんとなく懐かしそうに、、ピアノを見ているのを感じた。
うちのひょうきんな息子男の子が、
たまたま、(映画)戦場のピアニストの主題曲を弾いてるときに音譜



詩織ちゃんがその音楽を聞きながら、
目を閉じて、
集中しながら、
ストレッチングをしていたことがある。



でも、きっと、
うちのひょうきんな息子のピアノの音は、集中力を妨げていたんじゃないかと思う。。
ごめんね(@_@。 詩織ちゃん



詩織ちゃんは本当はピアノが大好きだったけれど、
ピアノの情感を養うのにバレエがよいから!
と、ピアノの先生に
勧められて始めたのがバレエだった。



だから、そのピアノの先生の言葉がなかったら、
詩織ちゃんは、バレエをやっていなかったろう。



そしてカルチャースクールでのレッスンをしていたころの
小学校の5年生のある夏に、
下関にある杉原和子バレエアートの公演を家族みんなでなんとなく観に行った。



そしてその公演を見て、
親子共々、
いえ、ご家族全員の人生が変わってしまったのだ!



そして詩織ちゃんは、
そのスクールに入りたいと思った時から
きっとその時すでに、
バレエの道に進みたいと小さな胸の中で、決めていたのかもしれない。


そして運命はその方向に向かって流れていくのだ。


そして、実家のある北九州市から、バレエスタジオのある下関に通う生活が始まった。
介護の仕事に携わるお母さんと、警察官のお父さんがお互いの仕事の時間の合間を縫って、詩織ちゃんの送り迎えをした。


一番初めに先生に



詩織ちゃんはヴァリエーションは、何を踊りたいの?



と聞かれ、

 

ヴァリエーション???えっえっえっ





詩織ちゃんには、いったい何を聞かれているか



さ~~っぱり 


わからなかったのだ




そして赤面して下をうつむくしかなかったのだ。。。。

詩織ちゃんはうちに帰ってさっそくお母さんに訊ねた。





おかあさん、ヴァリエーションってなん?



ところが、お母さんも、・・・????????・・・



なんにもバレエのことをわからない親子だったんですよっと、お母さんは笑う。




トウシューズに、帽子用の白いゴムひもをお母さんが縫い付けてくれていたのだが、


先生に


「バレエ用のゴムがちゃんと売ってるから・・・それにかえてくれる?」


と頼まれてしまうくらい、のんきな親子だったのだ。


詩織ちゃんが辛かったのは、
とにかく、バレエ用語がチンプンカンプンで、
バーレッスン中も詩織ちゃんだけが、、
???????
っとどうしていいかわからなかったことだ。



幼稚園くらいの小さな生徒さんを横目で見て真似するしかほかに方法がないっというくらいのレベルだったのだ。




先生の本棚にバレエ用語辞典なるものを発見し、
同じものをチャコットで注文して
ついでにガリーナ・メゼンツェワのバレエクラス初級1も買って、
毎晩、その週に
レッスンで習ったことを辞典で読んで、ビデオみて確認して、自宅で復習していたそうだ。



そして


みんなバレエも上手で

難しい言葉をわかるのに、
なんでアタシだけわからないん?



っと
とても悲しかったそうだ。
だから、がんばった。


杉原先生のところに通いだしたけれど、
当初みんなにあまりにもついていけなかったので。
そのころはまだ、週に2回しかレッスンに行っていなかった。


みんなは週4回、さらに、自習までしていたけれど、
詩織ちゃん自身はのんきだったので、



アタシはアタシのペースでやるから大丈夫


っと小さいながらも信じていたようだ。



そして、先生のところに通いだして、8ヵ月後、
小学6年生にして



生まれて初めてコンクールなるものにださせてもらう機会に遭遇!した。




あまりの喧騒と楽屋の混雑ぶりと
周りのきらびやかさに、


お口あんぐりのお母さんと詩織ちゃん親子だった目


こーんな世界があったのかっ!


びっくりしてしまった。。。。。


まるで知らない世界がそこにあったからおとめ座



でも、楽しかったし、
詩織ちゃんは大勢の人の前で踊る喜びを
生まれて初めて味わった一日だったのだ。



これを境に、詩織ちゃんの生活が一変しバレエ中心の毎日が始まったのだ。



でも、最初のころは何も知らず、
わからず、
恥をかきながら、
ただ目の前のことを
一生懸命こなしていくだけの
毎日だったのだ。



でも、そんな状況の中でも、詩織ちゃんは、
喜んでその場に溶け込んでいき、

また周りの人たち、

バレエ教室の仲間達、

そしてそういう詩織ちゃんを伸び伸び育ててくれた恩師の杉原先生、



そいいう周りの温かい愛情と優しさの中で、
詩織ちゃんはバレエの才能を伸ばしていけたのだ。




そしてお母さんとお父さんの愛情。



私がお母さんにお話を聞いた時に、
お母さんが、


全然華やかなエピソードもなくて、
ただただ田舎で、

何もわからず、
じみ~~に
ちんまり練習していたのが
詩織ちゃんなんだと

おっしゃっていた。



さて、この続きは、また
機会を見つけて書かせていただきますね(*^_^*)
ちょっと待っててくださいねわんわん



JUMI




追伸


以下が詩織ちゃんが日本にいる時に残した主な成績。

2005 青少年のためのバレエコンクール名古屋1位
     こうべ全国洋舞コンクール3位
     青少年のためのバレエコンクール福岡1位・
      

2006 Japan Grand Prix7位・
     こうべ全国洋舞コンクール8位
     青少年のためのバレエコンクール福岡2位

2007 こうべ全国洋舞コンクール4位・
     NBA全国バレエコンクール3位
     イギリスのイングリッシュナショナルバレエスクールに
     スカラーシップで入学し、現在に至る。