昭和43年12月、私は九州から上京し習志野CCに入社した。
そこに林由郎プロという人物がいた。勿論私は全然知らなかったが、我孫子一門の党首でありフェードボールをあみ出し、コントロールゴルフの創始者でもあった。小さい身体でも数多くの勝利を重ね、日本プロ選手権では確か5度優勝している。この時代では中村寅さんか、林さんかというくらいの実力者である。林さんはフックが嫌いでグリップはウィークにしている。私もこグリップにして苦労もあったものだ。ある時は、夜左手のグリップをタオルに縛りそのまま寝た時も多くある。しかし私は右手が強かったので、このウィークグリップは意外と合っていたようである。

しかしドローボールが打ちづらく、日本ではフェード一本で十分であったが、特にマスターズでの舞台ではドローボールが要求されるので納得のするゲームがいつも出来なかった。
マスターズの練習場でどれだけドローの練習をしたかわからないぐらいであった。しかし所詮付焼刃であった。米国でのフェードの名手と言われたリー・トレビノでさえ一度もグリーンジャケットを着る事が出来なかったものだ。やはり世界のメジャーでは、フェード・ドローが自然に打てる技術が必要であると私は切に感じたものであった。林のおとうちゃんはよく、「ベンホーガンはワイングラスを満タンにし、それを左手で持ってワインがこぼれない様に持つ事を教わった」と言っていた。これが、真っすぐグリップの原点であると!

そういえばパーマーも、プレイヤーも真っすぐ握っている。しかし彼らはドローが持ち球である。だから数多く勝利する事が出来たのである。現在はフックグリップが主流であると思う。特に韓国勢は全員フックグリップであるが、見事なゴルフをし、結果を出している。要するにゴルフは理論上どんなグリップでも自分のものにすれば通用するという事だ。
青木プロも我孫子一門の中では一番の成績を出した。しかし彼はウィークではなくややフックグリップである。しかし彼は天性の右手の感性があり、独特の自分流のゴルフをつくり上げたのである。我孫子流から離れ自分の型をつくりあげた。まさに、守破離の世界でもある。

私が若い頃スタートダッシュで大成功を収め大波に乗れた事は林のおとうちゃんのおかげであると思う。杉原さんも亡くなり林のおとうちゃんも亡くなり、私の周囲から良き理解者、ライバルが少しずついなくなっている。本当に淋しい限りである。私自身も今現在最後の青春を悔いなき様にする為に、やれる事はやっていくつもりである。
御冥福をお祈りします。