ちょろちょろとでも

とにかく水は出ましたので

昨夜に引き続き 朝から洗濯ものの山と格闘中の我が家。


今日も気温が低く しかも強風。

家で過ごせるありがたさはあれど、

強風にもきしむ、震災後の我が家。。。不安・・・。


余震と強風で ますます傷むのか・・・?

困った困った(ノ_-。)


いやいやとりあえず気を取り直して!

洗濯物は、ちょろ水の御蔭ではかどらず

終わりが見えてきません。

強風の恩恵か

次の洗濯物が洗いあがらないうちに

前のが乾いているという現象が生じております。


洗濯と言えば

この膨大な洗濯物の中に

震災の日、ご近所さんからお借りしたものも

含まれています。


帽子、上着、そして洗わないけど靴。


震災時

家にいたのが中1の長男のみ。

たまたま卒業式で午前下校でした。


宮城県連続地震の時も

岩手・宮城内陸地震の時も

我が家のあたりは震度6弱~強を観測しています。

(思えばたかだか7~8年のうちに3回・・・もうイヤだあ(/_;) )


しかし 過去2回は発生が偶然休日。

私か夫が子供と一緒にいる時でした。

一人っきりというのは今回初。

くわえて

こんなに家じゅう

何もかもが落ち、倒れ、壊れたのも初めてでした。


よほど恐ろしかったのでしょうし

心細かったのでしょう。


下校して学生服を脱いだだけの状態で

モンハンに興じていたヤツは

まさに着の身着のまま家を飛び出したんです。

Yシャツに黒スラックス、白い靴下はだしで

自転車で とにかく家を出、

多分弟のそろばん塾に

行こうとしたのでしょう。


しかし東北の3月。異常な薄着。。。

見かねた近所のおばちゃまが

とにかく逃げる間身につけるもの、ということで

上着、帽子、靴を貸して下さいました。

その後交流センターに避難しなさいと

言ってくれたんだそうですが

どうしても弟のところに行きたかった兄は

そろばん塾へ。

「まだ来ていないよ、学校じゃない?」と

先生に言われ、兄にとっても母校である

小学校へ急いだんですって。


長男を知っている先生がたもたくさんいらっしゃるので

無事、弟と一緒に

父が迎えに行くまで避難させていてくれたそうです。


前置きが長く(また・・・)なりましたが

そのときお借りしたものも

やっとお洗濯ができるようになったというわけです。


そのほか


震災数日後

ライフライン全滅で、食料も心もとなくなり

子供たちだけでも何とかしないとと思っていたら

避難所で炊き出しあるから

はやく食べに来なさい、と声掛けしてくれた

ご近所の奥さん。



灯油や、自分が汲んできた大事な水、

カセットボンベなんかを分けて下さったお隣さん。


子供たちのために

電気が復旧した日にすぐパンを焼いてくれた友達。


2日後、自分ちもガソリンが乏しいのに

井戸水をポリタンクに詰めて届けてくれた実家の母と弟。


井戸の水を汲ませてくれたご近所さん。

お湯を沸かすための大鍋と

沸かしたお湯をためる樽、

燃料が少ないだろうと

炭まで分けてくれた御蔭で

何とか体洗い1回、洗髪2回できました。

(もっと持って行っていいよと言ってくれたけど

よその皆さんも何人ももらいに行っているし、

そのたび1輪車まで貸して下さるのが心苦しくて・・・)


ん~・・・思い出したら涙が出てきた。

私たちだけでは不安でたまらなかったであろう

この半月強。


心から

人の情けが身に沁みました。


まだ水量も不安定だし

物資も入手困難な状態なので、

鍋も樽もまだ無いと不安です。

落ち着くまで

お礼は少し先になってしまうけれど、

家族そろってご挨拶に行き

心から頭を下げてきたいと思います。