地震発生時
職場にいた私。
震度7の築館から南に10kmというところで
死ぬかも・・・と本気で思いました。
しかも その時私が7人ほど一緒にいたうち3人は車いす。
立っていられないほどの揺れの中
とうていスロープ使って外へ避難させるなんて不可能。
泣き叫ぶ方もいて
手を握ったり
肩を抱いたり
声を掛けたり
考え付く限りのことをしつつ
あの 長い長い時間を過ごしました。
今夕、
やっと 電気と固定電話が復旧しました。
携帯もバッテリー不足で自由に使えなかったので
親族や 友人、知人にも連絡ができると喜びましたが
交換できるのは
決して喜ばしい情報ばかりではなく。
恐れてはいましたが
やはり
親族が津波で流されたとのこと。
それに
幼いころから 姉のように慕っている 又従姉の
山元の家が流されてしまいました。
無事の確認ができただけでもありがたいことながら
今後を思うと切ないです。
1週間ぶりに テレビも見ることができました。
河北新報は 翌々日から配達されていたし
ラジオも毎日聞いてはいましたが・・・。
テレビから伝わってくる惨状。
福島原発も
相馬も
石巻も
気仙沼も
志津川も
宮古も
陸前高田も
大船渡も
どこもかしこも
迫ってくる映像。目を瞑ってしまいました。
わが身の無事に感謝し
不幸にして命を落としてしまった皆様に
心よりお悔やみを申しあげます。
明日からは
さあ、
再出発しないとです。
家じゅう壁材のかけらや壁紙の破片
小麦粉やら調味料などがぶちまけられた状態から
少しずつ片づけてはいたけれど
余震で
割れた壁からはがれ続けるのでひどい粉っぽさ。
小麦粉は 一緒に浄水器もひっくり返ったため
こすったくらいでは とれません。
水が出てくれないと 大掃除は無理そうです。
職場の再開も もう少しかかりそうです。
ありきたりの暮らし、という宝物は
まだまだ手の届かないところにあるようですが
なんとがするすかねえべっちゃね。