6月18日は、母の13回忌


末娘(私)の定年退職を見届けて逝った母

母の出棺時、それまで降り続いていた霧雨が

上がった、紫陽花の頃

苦労続きの母の一生だったが

晩年は、姉夫婦のお陰で心穏やかに大往生して

くれた🙏


母の遺した〈短歌〉〈回想録〉〈日記〉

徒然に読む日々

達筆だった母だが、病気のせいか?それともストレスがマックスになっていたのか

時々字が乱れ読めない箇所もある


そんななかから私に関すると思われる短歌3作

拙歌と思われるかもしれないが…

東京の予報も気になり吾子あれば

毎朝、TVで私の住む東京の天気予報を見ていた

のであろう


そして

緑濃き谷の出湯で花火見る

特等の部屋に入るも車椅子

この2作品で母の短歌集は終わっている

これは、毎年お盆休みに母を連れて行った

宇奈月温泉で

歩けない母を車椅子に乗せ、ホテルの廊下から

花火を観た時のことを書いている

食事も風呂も部屋で済ませなくてはならず

ベッドでないと起き上がるのが難しい母のため

かってカーター大統領も泊まったとかいう

最高級の部屋で過ごした2泊3日の思い出

でもね、花火を観た時

『なんか大したことない花火じゃの〜』

『昔、婦人会で行った長岡の花火はもっと

もっと凄かったよ』って言っていたのよね笑ううさぎ

なのに、こんな短歌を詠んでいたとは…

当時の母は90歳近かったと思う

赤薔薇ピンク薔薇赤薔薇ピンク薔薇赤薔薇ピンク薔薇


村の花屋で紫陽花を買い求める

なんと!デカっ!!

直径30センチ近い



近所で摘んだ花々と賑やかに飾る


毎晩、感謝の言葉を掛けてベッドに入るおババである