母が遺した回想録、日記、短歌集
母が元気な頃、1年に1度母を東京に呼んでいた
時には、熱海や京都に連れて行ったことも
長年の農作業で膝痛を抱えていた母
徐々に歩行困難になり
最後に上京した時は、上野から当時私の住む世田谷のアパートまでタクシーを使わなければならなかった
その後は、1年に1回帰省した際に母を温泉に
連れて行き親孝行の真似事をしただけである
パーキソン病や糖尿病にも苦しんでいた母は
1997年、老人病院に入院となった(母、81歳)
約5年間の入院後、姉の嫁ぎ先に引き取られた
そこから約9年、姉は母の世話をしてくれた
母の日記(途中から姉が記入)を読むと、入院中には洗濯物や差し入れにと毎日のように病院を訪れ面倒をみてくれ、母が感謝している様子が伝わる
退院後は、姉夫婦の手厚い看護、孫やひ孫に囲まれての日々
"寝たきり"にさせないために、時には厳しい言葉で叱り
どんなに辛そうにしていても、食卓で食事を取らせ
決してベッドでは食べさせなかった
(点滴スタンドを自分で引きながら、食卓に歩いて来た。衰えたとはいえ食欲はあった母)
ボケ防止のために図書館から老人用の本(大きな字で書かれている)を借りて来たり…
母に「日記」を書くよう勧めたのも姉である
89歳4ヶ月で、転倒により大腿骨骨折、手術
89歳10ヶ月で、胃癌の診断により胃の切除(末期であり年齢を考慮して3分の1切除)
95歳9ヶ月で、再度転倒により大腿骨骨折、手術
一人でトイレへ行こうとしての転倒
(母は、最後までオムツには抵抗があり自分でトイレに行くことに拘っていたのである)
95歳10ヶ月、永眠
私は、一度も母のオムツを替えたことはない
温泉に母と二人で泊まった時も、姉は母をお風呂に入れるために宿に来てくれた
夜、トイレへ行こうとして倒れ床に突っ伏している母を起こそうとしたのだが、全くダメだった
自分で這ってソファまで辿り着いてようやく体勢を変え、自力でベッドに上った母
私は介護の苦労を全く経験していない
全て、姉に任せきりであった
病院で母の最後を看取ってくれたのも、姉夫婦である
苦労の多かった母であるが、お陰さまで最後は
安らかに逝くことができた
姉に感謝❣️
さて、おババに介護の必要がでた時は…???
オートミルきな粉餅(餡子入り)
大きい方を母にお供え
逞しい顔をしているけど、ボニータちゃんでは頼りに
ならないわネ〜