11月28日をもってJulietteを脱退する事になりました

こんな結果になるとは思ってもいなかったので
現実を受け止めきれていると言ったら嘘になります…


ブログ上なので今回の件を
明確に歯医者に過失がある

等の内容で記載出来ないのですが
色々な角度から言い回して

説明します
どこか感じとってもらえたら嬉しいです

かなり長くなりますが

脱退の主な原因の病気についての経緯、伝えたい想い等なるべく詳しく本音で書いていきます


6月24日
某歯医者にて
虫歯治療中に右上奥歯に麻酔を射ったところそのまま右側顔面神経麻痺を発症してしまい

重度で右半分の顔は全く動かないものの視覚、聴覚、味覚ともに障害が出て
痛みも頭痛も酷い状態

不安だったが自分の体調が悪いのかと錯覚


6月25日
改善はされないもののさほど酷くはならず様子をみようと思った
メンバーと楽器屋に行ったりミーティングしたりした


6月26日
朝起きたら悪化し身の危険に気付く
仕事が終わり次第
歯医者にて症状を訴えた所
3日経てば治るだろうもしくは歯を抜けば治ると言われ
風邪を引いたときにでももらう抗生物質をもらって3日間安静にして回復を待ったが症状は悪化していきました



6月29日
歯医者では話にならないので国立系の総合病院に自主的に足を運び
神経内科にて受診
失明の危機、麻痺症状の悪化を防ぎ回復させる為に緊急入院が必要と言われ
言葉も出なかった


2週間に渡り多量のステロイド投与、抗生物質、ビタミン剤等で悪化は食い止める事が出来たが回復には至らずリハビリを開始しました

ステロイド服用中は熱が出たままで肌も異常に荒れて大変だった


早くて3週間、悪くても半年で9割治るだろう
発症して直ぐに対応されていれば悪化をもっと防げただろうと言われ発症して直ぐに総合病院に行けば良かったと後悔しました

内科の先生はとても感じが悪く話もまともに聞こうとせず
歯医者をかばうかの様に
患者側に原因があると推測
楽観的な精神論で諭すように

大丈夫大丈夫!私の知り合いでベル麻痺になった人いて治ったし大したことない
と軽々しく色々な固定観念を押し付けられ
がっかりした

その知り合いは大変な思いをしただろうに何もわかってないんだなって不信感を抱きました


顔面麻痺は大きくわけて
・ベル麻痺(ヘルペス菌等が原因とされるもの)
・ラムゼイハント症候群(水疱瘡の菌等が原因とされるもの)
・外傷性麻痺(事故等の大きな衝撃で神経が圧迫されて引き起こされるもの等)
の3つが主らしく

先生は虫歯治療に原因があるのは考え難いね!と言いながら
ベル麻痺かラムゼイハントの治療の両方に効く治療をしたが全く改善しませんでした


そして度重なる精密検査の結果菌は検出されず
他に悪い所も無く
健康体という事で

原因不明と診断

内科なので何か外科的な処置ができることもなく
もうこれ以上何も出来ないと言われて絶望した
自主的にセカンドオピニオンを試みようと思った

入院中は
メンバーの翔也と将海が二人で
別の日に夢流がお見舞いに来てくれた

こんな状況で本当に申し訳無くて深刻に色々考えた


前のバンドメンバーや
俺の事を気にかけてくれる周りの色々な人がお見舞いに来てくれて励まされた


病院では年下のもっと重い病気の男の子と友達になった
すごく親しんでくれて
時間の合うときは一緒にご飯を食べたり語り合ったりした

俺も頑張ろうと思った



7月18日
某大学歯学部付属病院にて
原因追求、治療の相談の為に受診

先生は感じもよく親身に真剣に話を聞いてくれた

検査の結果歯には重大な問題もなく
普通の虫歯
こんな大変な事になっているのがおかしく
気の毒だ

今までの治療では不安

立場上文章に書くことは出来ませんが多分麻酔が原因でしょう
と悪くないのに謝りながらもどこか気をつかってもらえた


酷い状態なので直ぐに対応しますという事で

顔面麻痺の治療において一任者でもある教授を紹介してもらえる事になった


7月24日
某大学病院受診

教授診察

何でこんな酷い状態で1ヶ月もほったらかしなんだ
もっと早く私の所に来ていればこんなに酷くはならなかったし治りも早かったはずだ…

出来る限りの事はしますが不安です…

しかし前向きに頑張っていきましょうという事で

手遅れだが手術が必要で
直ぐにでも入院

手術の内容を聞くと
全身麻酔をして右耳の後ろ側から頭蓋骨に穴を空けて脳の下の神経の炎症と圧迫を抑える為
一部耳を外して神経回りの骨を削って負担を取り除く減荷術だという

絶句して頭の中が真っ白になった


費用も膨大で悩んで直ぐに返事は出来ず

次の診察の予約をして
親と相談しますという形で保留にした

その後精密検査

出品も嵩んでいたので資金のあては無かったが
親に借りてもらう事が出来て
友人の後押しもあって手術に踏み切る決心が出来た


7月29日

親と同伴で再診

手術日と入院予定日を決定
多忙で手術が2ヶ月くらいまで埋まってる中
緊急なので
教授回診を無しにして手術をするから体調は万全で頼と言われた

この先生の力を借りて新たに頑張ろうと思った

歯科治療が発症の引金を引いたのは確かであるが
立場上他の病院の先生を悪く言うように文章にはかけないとのこと

その後また検査


8月3日

入院

違う種類の投薬開始

検査

偶然にも中学の同級生が担当の看護師の一人
あまり仲良くなかったのに優しくしてくれて嬉しかったけれど
見られたくないという気まずさで目を見て話せない自分が嫌になった


8月4日

検査

麻酔士やら第2第3執刀医色々色々な人と話し合いをした

術前の為午後から断食

あまり眠れなかった


8月5日~

手術当日

朝シャワーを浴びて念入りに洗うよう言われてたので髪の毛は3回も洗ったのを思い出す


呼び出しが来るまで緊張しながら病室で待った

歩けるから手術室まで歩きたいと伝えた
何故か自分の足で踏み入れたかった

手術室はテレビで見たよりうんと広く
10人以上が俺の為に準備を進めて待ってくれていて圧倒された

手術台に横になった時は
正直死にたくないけど
心の中でもしかしたら死ぬかな
なんて考えた
びびってたけどびびってないふりをした

色々な医療機器が繋がれて心拍数が上がった

まさか人生でこんなに早く酸素マスクを付けるとは思わなかった

麻酔士が来て全身麻酔を開始した

表現すると

反射で意識を保とうと必死に抵抗するが
視界や感情や感覚が暗闇に侵されていって
最後微かな点になり
消えた


記憶はそこまでで
手術中の記憶は全くない


気がついたのは予定時間よりも一時間くらい遅れた頃だった

意識が朦朧としながらも
名前を何回も呼ばれて
麻酔士さんが手を握ってくれていた
大丈夫ですか?
と言われて
ハイと答えてから生き地獄が始まった


今まで感じた事の無い痛みと吐き気
頭痛が襲ってきた
意識を保てないくらい過酷で
酸素と点滴を繋がれたまま起き上がる事もできなくて
ただ苦しみに耐えて
何も考えれず
少しでも楽になるのを待った


親が会話してこようとしたけど辛すぎて
大丈夫だから帰ってと伝えた
申し分ないと思ったけど辛すぎてそれどころじゃなかった


それから3日間くらいろくに歩けず痛みで眠れずの日々が続いた

手術の影響なのか右耳がまったく聴こえてないのに気付いたのは色々考えたり出来るようになった頃で

絶望した


少しずつ病院内を歩いたり食事を増やしたりした

反面封鎖していた右目が見えるようになって、涙も出るようになった

おかゆからご飯に変わった時に味覚が少し戻ってて
美味しくて涙が出た

両目でみる世界、特に病室から眺める夕空は綺麗だった


検査の結果が出て
やはり悪い所は無く

原因不明と診断された


麻酔の形跡は残らないしctには写らないので
証拠資料をとるのは不可能らしい


体調が回復して話せるようになってから直ぐに前のバンドのメンバーがお見舞いに来てくれた

東京に上京した親友もわざわざお見舞いに来てくれて嬉しかった

もちろん家族も友達も嬉しかった


携帯を触れるまで回復してブログも書けるようになったり
心配して連絡をくれた人とメールしたり電話したりするのが嬉しくて助けられた


みんなからのメッセージやブログへのペタもそうだし色々な人に励まされて

もっと頑張らなくちゃって思った

バンドの事が本当に心配だった
迷惑をかけすぎて気まずかった


頑張ったのか予定よりも傷口が早く落ち着いて

入浴が出来るようになったのは手術から一週間後だった

一人で頭は洗えないので
シャンプー台で保護して
同級生の看護師が
一週間も洗ってない頭を嫌な顔一つみせずに笑顔で進んで洗ってくれて
申し訳ないなと思いながら感動した

中学では殆ど会話した事もなくて連絡先も交換したことなかったから
もし連絡とってたら早くうちの病院これたね
ってがっかりしてくれて

優しいなって思った


普段ずっと痛いのはもちろんガーゼ交換は逃げたいくらい痛かった


その後術後検査も通って

初めて右のほっぺたが少し動くようになって
右目の瞬きも少し出来るようになって

回復の兆しが見えてきたのは手術をしたおかげだった
耳も日に日に聴こえるようになって少し安心した


いつもベッドで今までの人生を深く振り返ったり

不安だらけの未来の事も真剣に考えた


バンドの事を考えるのが多かった

直ぐに治って直ぐに復帰出来れば良かったんだけど


最初は待ってるって言ってくれたけどメンバーや事務所の事を想うと今直ぐにでも脱退したほうがみんなの為だし活動しやすいなとか


応援してくれる人や俺の事をファンって言ってくれるみんなの事を想うと
1日でも早く治してまた笑顔にさせてあげれたりとか色々してもらうばっかだから待たせちゃうけど復帰しなきゃって考えたり色々ね…

おれがメンバーと一緒にステージにまた立ってみんなの顔がみたいってのも強かったんだけど


バンドでやってきた事や

スタッフや関係者

ライブやインスト
仙台から福岡まで全部思い出したよ



ライブにいつもだいたい来てくれる人
たまに来てくれる人
この地方は毎回きてくれる人
インストだけ来てくれる人
インストもライブも殆ど来てくれる人

音源を聴いてくれて手紙をくれる人

海外の人

他のメンバーのファンの人でもそうだよ
顔はわからない他のバンドのファンの人のことも

ライブ会場を想像したりインストで喋ってた自分想像してみたりみんなの顔思い出せるだけ全部思い出した


思い出せない想像や雰囲気だけのも含めて全てが俺の宝物だった

関わってくれた全ての人達が
今の自分の全てなんだなって
その大きさを再確認した


だからすごくみんなに会いたくて会いたくて辛かった

あと寿命が5年くらいでもいいし顔も全部一瞬で寝て起きたら治ってないかなってずっと考えて願ってた


病室で相部屋だった大学生が俺と一緒の手術を受けていた事を知った

原付でトラックにひかれて全身むち打ち
肩は折れて顎もヒビがはいって
その衝撃で外傷性の顔面麻痺が起きたらしい

事故の話を聞いて俺は純粋に助かって本当によかった!
って言ったら

生きてるのもこうなると辛いので今はよくわからないです

と言われて

言葉の重さがリアルにのし掛かってきて
死ぬほどつらいし肩もおれてるし俺より絶対辛いのに
軽はずみではないけど言い方に後悔した

それから会話したり彼の夢を聞かせてもらえる機会があって
嬉しくも悲しく思った

仲良くなった頃に退院してった
経過も気になるしたまに連絡してみようかなと思った

後から考えると
そんな凄まじい事故にあった人と同じ手術を受けた自分はなんだろうと違和感を覚えた


それから身体も安定した頃に退院して通院に切り替えた




続く