こんにちは♡


先週末、久々に車で軽井沢まで行きました✨


なーんて普通に書いていますが、実は運転は非常に苦手。


夫婦都内の二人暮らし、正直車🚙なぞなくても全く困りません。


使用頻度の低さや維持費を考えると、多分エルメスでの散財以上の無駄爆笑だとわかっていて、それでもなお維持している理由。


それは、父との思い出です。



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10年ほど前、免許取得後ほぼ一度も運転しないまま長年経ったある日のこと。


実家で父が「車欲しいけどなぁ、今買っても無駄だしなぁ…」とポツリと呟いたのです。


父は長年悪性リンパ腫を患っていて、その頃は危篤状態からのまさかの復活を遂げた?頃の事でした。


長年愛用したクラウンは、もう大きくて運転できないと手放していました。


余命幾許もないかもしれないのに、今買っても無駄になる。

でももう10分も歩けば先に進めなくなる体力で、車がなければ自宅に籠りきりにならざるを得ない。そう思うと、やっぱり車が欲しい!と思ったのでしょう。


父は元来お祭り大好き、社交大好きな典型的な江戸っ子。(大の寅さんファン。w)

まだ何とか動けるうちは、近所でも出掛けて回りたかったのだと思います。


どうしようかなぁ…と、普段あまり見せない迷いを見せられると、私は何となく背中を押してあげたくなって、


「じゃあ私も乗るから、買えば?」


とつい口が滑ってしまったのです。

(繰り返しますが、当時の私は路上で運転経験のないゴールド免許のペーパードライバー)


するとどうでしょう!


それまで弱々しく逡巡して見せていた父の目が瞬時にキラーン🤩と輝き、これまた先ほどまでの弱々しい口調とは打って変わった溌剌さで、


「そうか!お前も乗るか!

じゃぁ買ってもいいな!!

そうかそうか!」


と言うではありませんか。

私はこの態度の急変ぶりに気押されて「えぇまぁそうね…」とお茶を濁してその場を去りました。


(今振り返ると、あれは小芝居だったんだな、とんだ病人だわいと笑ってしまいますが)





…それから1週間くらい経った頃、母から

「パパ、新車買っちゃったわよ、軽だけど」


と連絡が来まして。


「まーじーかー」と思ったものです凝視


やばい、こうなってはもう乗れるようにするしかない…


私は父の車を運転するため、久々に教習所の扉を叩き、ペーパー教習を受ける羽目に。


当時の教習所の景色。

いやぁドキドキでした…


そして、頻繁に実家に顔を出して、父を乗せて運転の練習をすることになったのでした。


最初は近所の田舎道。

少し慣れてからは高速も一緒に走りました。


この高速教習?のときのこと。

サービスエリアで教習のお礼に父にコーヒーを奢ったら「え、ご馳走してくれるの?嬉しいねぇ」と無邪気に喜んで何でもない会話を交わした後で、不意にこんなことを言ったのです。


「死ぬのは、悲しいことじゃないんだよ。」


その前後の会話は記憶に無いのですが、その口調が、まるで「今日はいい天気だねぇ」と言うような、本当にさり気ない、なんの変哲もない言い方だったことを覚えています。


その時の父は闘病生活も10年を超えており、少し持ち直して小康状態だったとは言え、いつ急変してもおかしくはないような時でしたから、否応なく常に死を意識していたのでしょう。


愛する者との別れは誰にとっても辛い事。

逝く方も、逝かれる方も。


だから、死ぬことは悲しくないんだよ、悲しむ必要はないんだよ、と言うのは、父なりの愛情表現だったのだと思います。

もしかしたら、自分にもそう言い聞かせていたのかもしれませんが。


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父が鬼籍に入ったのはそれから4年後でしたが、何となく、私の中ではあの父娘二人のドライブ、過ごした時間と交わした言葉が正式な別れだったような、そんな気がしています。


わがままで面倒くさいところも数え切れないほどあり、家庭人でも全くなく、いわゆる「良い父」像からはかけ離れた人ではありましたが、それでも車のハンドルを握ると、父との思い出がよみがえります。


(結局父の車は貰わず自分で買ったのですが)


運転をしなくなったとしても、思い出がなくなるわけではないのですが、車を手放したらもう二度と運転はしなくなるだろうと思うと、何となく手放しがたく、今に至ります。


(現実問題、年に数回しか乗らないので本当に無駄なのですけどネ…)



…ちなみに私が大の猫好きなのは、父譲りです爆笑



そーなのよ、やっぱり猫が1番なのよ


奇しくも今週末は父の日ですね。

父の命日が近かった事もあり、思い出を綴ってみました。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

良い週末をお過ごしくださいませ♡