家族が退院した | All Things are in Flux

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時々、何か書きます。
変わることを楽しみながら。

入院していた家族が退院した。
9日間の入院だった。

2年前は手術をして、
1ヶ月の入院の後さらに1ヶ月のリハビリだったから
それに比べれば、まあ大した心配事ではなかったかも知れない。

退院の当日に、ほんの少しだけ
天に召された方のご遺族にお話を伺う事があった。

死ぬと言う事は、本当にどうしようもない現実で
触れる事も話す事もできなくなる。

頭では分かっている事なのに、
それをどうしても信じることができない、納得ができない。
苦しくて、寂しくて、たまらない気持ちになる・・・と。

でも、残された者同士で話しているうちに
深い悲しみは徐々に静かな祈りに変わる…
そして、結局は良い思いしか残らないのですと。
 
「生きているのではない、生かされているのだ」
という言葉を目にしたり耳にしたりする事がある。

言わんとしている意味もよく分かる。
でも、やっぱり「生きている」のだと思う。

生きると言う意志を表に明確に示さなくても
また、仮に自分では意識していなかったとしても
生きている人はみんな「生きる!」と命が叫んでいる気がする。
 
いじめに耐えきれず、自ら未来を絶った若い命の話に心が痛む。

その傷ついた心も、
きっと「生きたい!」と叫んでいたような気がする。

残された者たちの
張り裂けるような悲しみを
思いやるゆとりなどない程に、

傷つき追い詰められ
逃げ場を見失い絶望の果ての選択だったのだろう。

死にたかったのではない。
ただただ、その苦しみ悲しみから逃れたかっただけなのだ。

生きたかったのだ。
生きたかったから、苦しかったのだ。悲しかったのだ。

生きていても、その苦しみから逃れる術は必ずあると、
生きているからこそ見つかるのだと、
理解者も、味方も、守護する者もどこかに必ずいるのだと、

幸せの場所は、生きていたら必ず見つかるのだと、
世界は、思うよりずっとずっと広いのだと、

誰かが、教えてあげる事ができたなら・・・

別の選択肢はもっともっとあったはずだ。
その先の、未来へつながる選択が。

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