【回顧録】

  介護職に就いて、出勤一日目。

晴れの一日目というのに、生憎の曇り空。

いつ雨が降っても大丈夫なように愛用の傘を鞄に入れて家を出た。

  今日訪問する家は、中等度の認知症がある男性Aさんが住む家。一人暮らしだけど愛犬がいて、二人?で仲良く生活しているらしい。

  介護事務所からAさんの家までは平坦なので通いやすいけれど、Aさんが住む部屋に行くまでの20段の階段の傾斜が凄すぎて気が滅入る。階段の手すりにしっかり掴まり、全神経を階段に集中させてなんとか上り終わると、外廊下にAさんの楽しげな歌声が聞こえてきた。

  玄関チャイムを押して「Aさん、こんにちは。ヘルパーの慈雨です。」と言いながら、玄関ドアを開ける。部屋の奥から、Aさんの愛犬が「ワン、ワン」と吠えながら突進してきた。尻尾を軽やかに振っているので、吠えながらも、私の訪問を歓迎してくれているのだろう。部屋に上がる前に「Aさん、こんにちは。」と少し大きめの声で言うが、Aさんは全く私の訪問に気づかない…。Aさんの愛犬の顔を見ると「どうぞお上がり下さい!」と言っているような表情に見えたので、「お邪魔します。」と呟いて部屋に入った。

  Aさんの愛犬の先導で、Aさんのいる部屋に行くと、Aさんは、音質があまり良くないラジオから流れてくる演歌に合わせて歌っていた。あまりにも楽しそうに歌っているので、一番が歌い終わるまでAさんの傍らで聴いていた。やっと間奏になったので、改めてAさんに「Aさん、こんにちは。ヘルパーの慈雨です。今日から、よろしくお願いいたします。」と挨拶をした。

Aさんは、にっこりしながら「もうすぐ二番だぞ、あんたも一緒に歌え。」と言い、またラジオから流れる演歌を歌い始めた。私は、流れてくる演歌のリズムを鼻歌で歌いながら、Aさんの視界に入る位置でできる仕事に取りかかった。


【まとめ】

  「認知症になると、何も分からなくなる」と言う方が少なくないですが、そもそも「何も分からない」とはどういう状態・状況なのでしょうか?分かっているけど、言葉(単語)が出てこなくなったということもあるでしょう。

  この回顧録を経験した当初の私は、まだ介護職超新人でしたが、「認知症は短期記憶力は衰えるけど、感情は衰えない」ということを学んだ貴重な経験でした。


次回に続く→→→