3月15日に倒れた時、仕事は休みました。
翌16日は、シフト上はOFFなのに、
意識混濁状態の頭で電車に乗り、
見事に15日と勘違いして出勤したようです。
勤務のつもりで行ったのはそれが最後でした。

入院してから、3月、4月は、病気と闘うことで
精一杯で、「仕事は辞める」ともらしていました。
「治っても、またあのハードな仕事戻る気しないよ」
とまで言っていました。
たぶん、病気に負けそうになっていたのでしょう。


けれど、4月27日にドレナージ抜管、
28日シャント術中止、29日に病室移動…
としてくうちに、
「ああ、生きている」という実感がじわじわと
沸き、「生きててよかった…」
と心から思えたのもその時期になって初めてでした。

同時に、仕事に対する考え方もそれまでと
一転、
もう一度考え直すようになりました。

「照明じゃなくても、舞台に関わっていくことはできるし」
とか言っていたのが、
「やっぱり、照明じゃなきゃ駄目なんじゃないか?」
と思うようになり、
働いていた職場に対しても「辞めたくない」
という思いが芽生えてしまいました。

ただし、その時点でもう欠勤から1ヶ月半経っていましたし、
契約更新の返事を待ってもらっているとはいえ、
向こうも絶望的だと思っているだろうし、
こちらもこれ以上待たせてご迷惑をかけるわけには
行きませんでした。

2年前も、髄膜炎の時3ヶ月近く休んでさんざ迷惑を
かけているからです。

いろいろ思いは巡り、一人で泣いたり、
母の前で涙を見せたりもしました。

やっぱり、ここで辞めるのは悔しくて。

事務作業とかも好きですし、
単純作業も好きですし。
色々、他にも道はあるかもしれない。
けれど、やっぱり、
照明が好きなんだ、
その時気づきました。

結局、
「勤務先は一度辞めるけれど、照明にはまた戻ってくる。」
そういう方向で、自分を落ち着かせるしかありませんでした。

たかだか2年ちょい。
けれども、濃厚で楽しい時間でした。
筆者にとって、初めての職場は自分の場所として
大きなウェイトを占めていることも実感しました。



5月12日に、筆者に代わって父に、
挨拶に行ってもらいました。
延期してもらっていた契約更新の返事をしに。

「また戻ってこれるといいですね。」
といってくれたそうです。
父からの報告メールにまた、涙しました。

本当に今回、病気で強くもなったけど、
弱くもなりました。

自分の弱さを認めることは、強さかもしれませんが、
弱い自分をさらけ出すことはしたくありません。
悔しくてあふれる涙は、つらいけど
いつか笑って話せる思い出になるように、
今はとにかく復帰に向け頑張る今日この頃です。