前回→■流れ■⑤最盛期(3)手術前日■2009.4.8

4月9日。いよいよ手術当日。
手術は、朝イチでした。
もともと脳外科の手術日は水曜日。木曜日は予備日でした。

朝の8時に、両親が来ました。
この日、前日の夜から、水を飲んではいけなくて、
非常にのどが渇いていて、水でしめらせたガーゼで口を濡らしていた
覚えがあります。

8時半すぎ頃、主治医が来ました。
状態を確認し、手術に問題がないことを確認して、
移動。

しかし、前日夜までに排出しきれなかったお通じが少し
残っていたので、少しだけ待ってもらって、
病室を出たのが8時45分すぎごろ。

筆者の入院していた病院は、病棟と手術室のある棟が離れていて、
一度1階まで降りてから棟を移動してまた上がって、と、
移動に2~3分はかかりました。

手術室のドアの前で、両親とはしばしお別れです。
両親は、同じ階の手術待合室で、その日ほぼ一日を過ごすことになります。

手術室のドアを入った、準備室のようなところで、
脱衣し、手術台となるストレッチャーのようなものに
手首を抑制します。
全身麻酔で動かないようにはなるのですが、万一微動でもしたら
危険な手術だからです。

そして酸素マスクが付けられ、
首のカテーテル(点滴)から麻酔薬が入ります。
そこから先は、もちろん、夢を見るでもなく、
眠りに落ちました。

手術の内容については、また手術の項目で記事を書く予定ですので、
そちらをご覧ください。

19時30分。次に時計を見た記憶があるのは、
10時間くらいたった後でした。

手術は無事成功したようでした。

麻酔が覚めても体はだるい感じで、
頭は、次第に痛みを感じてきました。

そして手術のあと、一番つらかったのは、
痰(タン)です。

全身麻酔をすると自然な呼吸ができなくなるため、
人工呼吸のための管を口から入れます。
その管がのどの粘膜を傷つけることがあり、
そのせいで痰やつばが多量に出るのだそうです。

それに苦しんで、
手術室から病室に移る間も、ストレッチャーにティッシュの箱を乗せて、
口から痰を出していました。

全身麻酔をした後、のどにたまるつばや痰は、飲み込んではいけません。
その理由は後々知ることになるのですが、
麻酔の成分が残ったものが、もし万一肺に入ったりすると、
肺炎になる可能性が極端に上がるのだそうです。


病室に戻ってきて、ストレッチャーからベッドに移るとき、
看護師さん3人(準夜勤の3人全員)で抱えてもらったのですが、
お一方、ちょうど手術した傷跡のある首のところを持ってしまい、
「痛い痛い」と言って持ち替えてもらいました。

20時を回るころか、20時30分ごろか、
1日ずっといてくれた両親は手術を無事終えた娘を見て
帰って行きました。
あとで聞いた話ですが、手術待合室にはうちのほかに、
3組くらいの患者家族がいて、その人たちの騒がしさに
閉口していたようです。
自分の娘が生きるか死ぬかの時に、苦しい思いは
したくないですよね。。
病院って、本当に、神経質になる場所で、デリカシーのない人に
閉口する場面は何度も出くわしますが、
少しでも、周りにいる方の気持ち、考えてみたら、
もっと素敵になると思います。
私は病気なんだから、とか、娘が大変なんだから、
とか、自分のことへ、自分のものへ、気持が集中しがちでも、
そういう時こそ、周りの人への心遣いができる大人に、
私はなりたい。。。


その夜は、断続的に出続ける痰と、頭痛と、高熱で、
ほとんど眠れませんでした。
痰はティッシュで出したいのですが、
看護師さんはやはり、吸引を使いたがります。
のどに管が入ることで気持ち悪くなるので非常に嫌なのですが、
手術当日~2~3日は、その気持ち悪いのを何回も
体験しました。
今考えても恐ろしいです。

頭痛は、手術前の痛みとはまた少し違って、
手術で開頭したわけですから、ぱっくり開いてしまった怪我をしたのと
おなじことで、その傷が痛いというのが一番強かったです。

そして高熱は、39度以上の熱が出ました。
40度を超えたかどうか、自分ではっきり覚えていませんが、
とにかく、熱を出しても氷枕は逆に寒くなるので嫌っていた筆者ですが、
夜中にはあきらめて氷枕をし、わきや脚などにも小さい氷枕を
あてていました。

手術室から戻ってきたとき、頭の右上、というかおでこの右上のあたりから、
管が出ていて、その先は何か包帯のようなもので巻かれていました。
そして、手術部位の左後頭部からも同じような管が出ていました。
傷のところには、ガーゼが当てられ、ガーゼを医療用ばんそうこう
で止めていたと思います。

頭から出ている管は、水頭症のためのもので、
高くなりすぎた頭の髄圧を下げるために、髄液を直接外へ出すための
管でした。

その管のこともあり、また、麻酔が多少残っているのもあり、
体は自分で動けなかったので、
夜中も1時間おきに看護師さんが来て、体向(たいこう)といって、
体の向きを変えてくれました。

それ以外にも痰のことで頻繁にナースコールをするので、
「(苦しいのは)わかるけど、ほかの人(患者さん)のことできないよ」
と言われてしまいました。
それでもやっぱり、気持ち悪いので呼ぶのはやめませんでした。。。
ずっと家族が付き添ってくれるわけではありません。
人に何もかもやってもらわないといけない苦しさ、も
たくさん味わった入院でした。