上巻
138-139 妄想
彼には、奇妙な習慣ができた。たとえば、誰か非常に好きな子供がいるとする。と、彼は、いつのまにか、自分がその子供になったように、想像する。・・・その少年のすることは、まるでみんな、自分がしているような妄想をする。しかも、それが異常なまでに鮮明なので、ちょっと、なにか自分がもう自分でなくなったような錯覚に陥る。こんな風にして、度々、まこと奇怪な幸福に浸ることがあった。
191 因襲 ウォートン
「・・・だが、英国という国には、このどちら(行動の自由と思想の自由)もないのだ。ただもう因襲って奴に、痛めつけられている。思うままに考えることもできなければ、思うままに行動することもできない。それは、なぜだ?民主主義的国民だからだ。きっとアメリカは、もっと悪い。」
392 美術館の絵の前で ローソン
「今日は、一時間ばかりも、あの(オランピア)の前に立ってたんだがね、どうもやっぱり、あんまりよくないね。」
405 芸術とは クロンショー
「・・・芸術ってものは、一つの贅沢なのさ。人間、一番の関心事は、なんといっても、個体維持と、種の増殖なんだよ。そこで、この二つの本能が満足させられた時だけ、人は、作家だの、画家だの、詩人だの、というものが与えてくれる娯楽に、甘んじて、心を寄せるのさ。」
407 芸術とは クロンショー
「芸術なんてね、結局するところは、単なる逃げ場所にすぎん、利口な奴等が、食と女に満足した時、生の倦怠をごまかすために、発明したね。」
※フィリップは、芸樹にもっと崇高なものを見ていた・・・次の抜き書き・・・但し、フィリップはこの小説の最後に知ることになる・・・
421 芸術とは
だが、ここには、全然別のものがある。ここにはもはや、倫理的訴えかけなどは、なかった。これらの作品の観照は、決して潔い、またより高い生活などへ、導くものではなかった。明らかに、彼はまごついた。
449 各人の快楽追求 クロンショー
「・・・彼等の欲望を、君の欲望のために、犠牲にしてくれというようなね。誰が、そんなことするものか?もしも君がね、この世界では、結局各人が、各人自身のためにだけ動いているのだという、この事実を承認さえすれば、君は他人から、そんなに多くのものを要求することは、しなくなるだろう。すれば、彼等から、失望を与えられるここともなくなるし、彼等を見る君の眼も、もっと寛容になるはずだ。人間が、この人生で追求するものは、ただ一つ---快楽ということなんだよ。」
※人に対してもフィリップは<要求>している、ことを示している・・・次の抜き書き・・・これもまた、小説の最後には覆される
480-481 人生
人生は、彼の欲するものを、決して与えてくれない、そして、なにか徒(いたず)らに、一生を徒費しているような、不安に襲われた。
527 変化
だが、フィリップにとっては、人生は写すよりも、まず生きるべきだという気がした。そして、さまざまな経験を探し求め、それが与えるあらゆる感動を、生の一瞬、一瞬からもぎとりたいと思った。とうとう彼は、ある行動に出て、一切は、その結果に従おうということに決めた。
下巻
43 運命
「・・・僕にだって、自由意志の迷妄は、非常に強く、いまだに、それから免れることはできなのです。だが、結局迷妄にしかすぎないものだとは、思っています。ただそういいながらも、実はこの迷妄こそが、僕の行動一切の、最も強い動機であるんです。物事をやるまでは、いかにも僕に、選択能力があるように感じ、それが、事実、僕の行動を左右するのです。だが、やってしまった後になって、考えてみると、なに、それは、未来永劫の昔から決っていたのだ、というような考えになる。」
「ところで、それから出てくる結論は?」と、ヘイウォードが訊いた。
「なに、後悔することの無意味さという、ただそれだけだよ、ミルクをこぼして泣くのは無駄。というのはだね、この宇宙に、ありとある一切の力が、いわば寄ってたかってミルクをこぼそう、こぼそう、としているんだからね。」
283 美 アセルニー
「なに、美しいものでさえありゃ、いい。嘘だろうと、どうだろうと、そんなことは、大したこっちゃない。だいたい理性にも、審美感にも、双方平等に訴えるものなんて、虫が好すぎまさ。」
350 客
客もまた、もう中年のオールドミス娘を伴れた婆さんだとか、いやに気取った物の言い方をする、へんてこな老独身男だとか、いつでも、嫁いだ娘の話、それから植民地でだいぶうまくやっているとかいう息子たちの話ばかりしている、顔色の悪い中年者の会社員夫婦だとか、つまらない、妙に気取った連中ばかりだった。
482 人生の無意味
人は、生れ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。・・・フィリップはそして、はじめて、完全な自由を感じたのだった。
484 人生
人間一生のさまざまな事件、彼の行為、彼の感情、彼の思想、そうしたものから、あるいは整然とした意匠。あるいは精巧、複雑な意匠、あるいは美しい意匠を、それぞれ織り出すことが、できるということだけだ。
485 人生
そして人生の終わりが近づいた時には、意匠の完成を喜ぶ気持、それがあるだけであろう。いわば一つの芸術品だ。そして、その存在を知っているのは、彼一人であり、たとえ彼の死とともに、一瞬にして、失われたしまうものであろうとも、その美しさには、毫も変わりはないはずだ。
645-646 馬鹿
「でも、なぜそんなに僕のこと、思ってくれるの?僕は、跛で、平凡で、ごくつまらない、醜い、男なんだよ。」
彼女は、彼の顔を両手で抱えて、唇に接吻をした。
「あなたは、ほんとに馬鹿ねえ。本当に、そうだわ。」
662 人生 結論
いつも彼の人生は、ただすべき、すべきで、動いており、真に全心をもって、したいと思うことで、動いてはいなかったのだ。今や彼は、その迷妄を、一気にかなぐりすててしまった。いわば彼は、未来にばかり生きていて、かんじんの現在は、いつも、いつも、指の間から、こぼれ落ちていたのだった。彼の理想とは、なんだ?彼は、無数の無意味な人生の事実から、できるだけ複雑な、できるだけ美しい意匠を、織り上げようという彼の願いを、反省してみた。だが、考えてみると、世にも単純な模様、つまり人が、生れ、働き、結婚し、子供を持ち、そして死んで行くというのも、また同様に、もっとも完璧な図柄なのではあるまいか?幸福に身を委ねるということは、たしかにある意味で、敗北の承認かもしれぬ。だが、それは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ。
