ベストセラー「生物と無生物のあいだ」の著者で知られる
分子生物学者の福岡伸一さんが
週刊AERAの連載コラム「ドリトル先生の憂鬱」をまとめた本
「遺伝子はダメのあなたを愛している」
生活の身近な悩みや疑問を、生物学的観点から遺伝子レベルまで掘り下げた
とても面白く興味深い内容でしたね。
質問内容は多岐にわたります。
「断捨離ブームですが、私はモノを捨てるのが苦手です。
片づけられない女はダメですか?」
「彼は筋金入りの草食系。栄養学的に問題はないのでしょうか?」
「エネルギー問題も地球温暖化も一気に解決する方法はありませんか?」
[もっとも役に立つ生物をあげるとしたらなんですか?」などなど...
「卵子提供」が話題になりました。そうまでして、子孫を残さなければならないものでしょうか?」
更に、子孫を残すことについの考えは...
「遺伝子の唯一無二の目的は、子孫を残すことだから
私たちの姿形、生活様式、行動形態は、結局のところ
それをかなえるよう適応的・合目的にできている。
あらゆることは、繁殖のために有利だったから自然選択された。」と...
でも、それって本当でしょうか?
働き者のはずの働き蟻の約7割程度はぼーっとしており
約1割は一生サボっている。
もし、よく働く蟻だけを選抜しても、また、その一部はサボる。
逆にサボる蟻だけを選抜しても、何割かは働いて、また何割かはサボる。
昆虫の世界では、常に働かない蟻「遊軍」がをスペアとして存在している...
生物の特性や容態を、部分的切り取ってそこだけを適応的に説明すると
しばしば無理な議論になり、生命が本来持っている自由度が失われてしまうのではないか?
そんな風に私は感じるのです。
産めよ増やせよ。勤勉は美徳、怠情は悪、これは支配者が作り出し
為政者が編み出した労働と徴税のロジックではないでしょうか。
生物の世界には、あぶれオス、あぶれメスがたくさんいるし
それは、生物学的にダメなことではないし、子孫を残そうが残すまいが
もっと個体の自由度を尊重すべきではないでしょうか。
子孫を残さなかったからとか、サボっているからと言って
生物学的な罪や罰はない、むしろ遺伝子は自由であれと言っているのだと
私は思うのです。
(あとがきより抜粋)
また、福岡伸一さんは、画家フェルメールの大ファンであり
足掛け4年にわたって全世界のフェルメール作品を探訪し続け
このたび、世紀の美術イベントが福岡さん監修の元
フェルメール展が、銀座で開催されてるそうです。
科学と芸術の間を遊泳する福岡伸一が解き明かす
フェルメール作品に秘められた謎。
観に行ってみたいと思います。
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