昔、うちにトイプードルがいた。
祖父が亡くなったときに引き取った、当時既に成犬だった茶色いトイプードル。
慣れない環境で、最初はいつもびくびく怯えて部屋の隅で縮こまっていた。
が、ある時からどういうわけかあたしの後をついて回る犬になった。
とても不思議だった。
散歩に行ってもずっと黙ってあたしを見上げていて、頭を撫でるとしっぽを振った。
あたしが風呂へ入れば洗濯物を守り、寝る時はベッドで一緒に眠り、
家族があたしを起こそうとすると歯をむいて唸った(あたしはその声で起きる)
あたしが出かける時は玄関で見送り、帰宅するまでそこにいた。
依存だ、妄執だと家族は笑った。
あたしは大学進学と同時に一人暮らしを始めた。
実家を出る日の、理解していないあの子の顔を今でも覚えている。
あたしがいなくなったあと、あの子は一日の大半を玄関マットの上で過ごし、
夜は2階にあるあたしのベッドで眠った。
足が弱って階段を上がれなくなった日、
悲しそうに鳴いてはじめて家族に助けを求めたという。
ずっと待っていた。
「遠いからなかなか帰って来られないんだよ」と家族が言い聞かせてもそこにいた。
しかし物静かな子だったからあたしが帰省してもはしゃいだりせずに、
ちぎれんばかりにしっぽを振ってそっと頭を押し付けてきた。
あたしがいなくなった後はまた玄関で過ごした。
そしてあたしがいない夜にひっそり死んだ。
あの子がなぜあたしを選んだのかは今もわからない。
ただ、祖父が犬を飼うと決めた時、あの子を貰いに行ったのはあたしだった。
あれがどこだったかはよく覚えていないけれど、老人が飼うから大人しい子がいいと両親が言うので、
駆け寄ってくる子犬たちを掻き分けてあの子を抱き上げ、頬ずりしたのはあたしだ。
犬は記憶の容量が小さいから、嬉しかったことをずっと思い出しているとペットの葬儀屋さんに聞いた。
あの子が玄関で何を思い出していたかは分からないけれど、あたしのことを待っていたのは確かなのに。
あたしはあの頃学生生活が楽しくて、あの子のことを考えない日もあった。
なんてひどい人間なんだ。あたしはもう一生誰からも愛されたくないと思った。
一途に愛されるくらいなら嫌われた方がましだ。
でも時々寂しくなるから、恋愛ごっこしてくれる人は欲しい。
優しくされたい。愛されたくない。
あたしだけ見てほしい。ぞんざいに扱われたい。
あたしの心はバラバラで、
今もカケラをいくつか失くしている。