ELVIS PRESLEY
エルヴィス 別冊太陽 2回目はやはりアルバム・ジャケットですが1999年以前のCDは珍しいと思います、
もう廃盤になったものもある。見慣れていないモノを載せてみました、珍しいものもあると思います。
1953年7月或る土曜日、メンフィス・レコーディング・サービス(サン・レコードと同会社)を
エルヴィスはドアを叩いた。このエピソードを何度でも繰り返したい。
正に神に導かれたように伝説化していて、一人でやってきたエルヴィスの若さのひたむきさが、
未来の偉大なる歴史の始りなのだから,その始まりを誰が爆発の火を付けたのか、
一見ひ弱そうなドアを叩いたあの一人の男か。
母親の誕生日プレゼントに彼女がまだ青春時代にとてもよく懐かしがって聞いていた黒人女性歌手
ジャズ・ポップスシンガーのエラ・フィッツジェラルドの《マイ・ハッピネス》をアセテート盤
《心のうずく時》2曲をレコーディングした。
最初にしてこの世に残されたエルヴィスの世紀のレコーディングでもあると言ってもいいかも
しれない、この時はサム・フィリップは外出中だった。翌年19才になって、この時とばかりと
いろいろ古い曲も試してみた。
2枚目のレコーディングに《アイル・ネヴァー・スタンド・イン・ユア・ウェイ》
(私は決して あなたの邪魔をしない直訳)《イット・ウドゥント・ビー・ザ・セイム・ウイザウト・ユー》
(君がいなくても僕は同じだ直訳)この2曲もとても古い曲だろう
それぞれボックス・セット≪プラチナム≫とアルバム≪サンライズ≫は収録されてレコード・CD化まで
数十年たったものだ。
サン・レコード時代に戻ろう。1954年7月サム・フィリップスとギターのスコティ・ムーアと
ベイスのビル・ブラックの3人はエルヴィスのカントリー、ブルーズ、ポップス、古い曲等エルヴィスが
知ッている、歌える歌を何でも歌わせた。それでもフィリップスは不満ともとれるなかなかOKは出さなかった。
しかしそれでも光が見えてきた、エルヴィスが休憩中、一人でギターを今までない様なかき鳴ラシテ、
歌った歌が、フィリップスが突然これだと騒いだ≪ザッツ・オール・ライト≫
これで4人は本格的にエルヴィスのテンポに乗り移って,『これでGO!だ』
本格的にレコーディング・セッションが始まって続けざまに4曲奇跡的に出来上がった。
≪アイ・ラブ・ユー・ビコーズ≫と≪ザッツ・オール・ライト≫、≪ハーバー・ライト≫、
≪ブルームーン・オブ・ケンッタッキー≫の順に吹き込まれた。
㋆10日夜、WHBQ局のD/Jの自分のR&B専門で≪ザッツ・オール・ライト≫のデモテープを初めて
かけた。その途端アンコールを求める電話と電報が曲に殺到、遂には一回の番組の中でこの曲は
連続して14回流される羽目になり、エルヴィス自身も急遽番組に呼び出されインタビューでエルヴィスが
ヒュームズ高校卒業と語ったことにより彼が白人であると知れわったのだ。
それほど彼の歌は黒ッポかったのである、正にサム・フィリップスのねらいはもののみ
ごとに当たった訳である。聴いてていた人も、信じる人まだ信じない人でもの凄く噂で騒ぎ立ていた。



