《 60`sファビュラス・オールディズ 》    #  1 | JOSE❛n❜GEE   Party club

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  ジョーズ ❛エン❜ ジー       パーティクラブ

☆ジェリー・リ-バ-&マイク・スト-ラ-☆
エルヴィスの登場とロックンロールを

作り出した功績にリスペクト ‼‼‼
アメリカアメリカアメリカ 50年代60年代のアメリカン・ポップス・シーンを懐かしむ上で、リーバー&ストーラーの作詞作曲オリジナル・チューンは外せない。若いソング・ライターのアイデアを新たなポップスとして完成させたアレンジ・プロデュースも相当数ある。そしてポップス・ミュージックの発展に大いに貢献し、独立系レーベルを自ら創設した(レッドバード・レコード)。何といっても、エルヴィスを誕生させ、ロックロールを作り出したと言っても、過言でないことは、歴史上において認められている。マイクギタードラム

二人は若い頃にすでに、黒人に歌わせる為に、堂々とリズム&ブルーズを作り続けていた。バイキンくん

【レイス・ミュージック】と白人から人種音楽と差別されていた頃で公衆トイレや水飲み場に、【ホワイト・オンリー】白人専用で有色人種は使用してはならないという意味の人種差別の看板が打ち付けてあった時代である。

1952年にデビューした黒人歌手のビッグママ・ソーントン。デブッチョで、美人とは程遠く(Sorry!)グラサンハート、歌い方はブルージーで凄いシャウトの〝ハウンド・ドッグ″だった。英語の直訳でも「女をエモノとしかみない猟犬のような奴」「女タラシの奴」と言う黒々とした黒ッポイ曲を作ってレコード・カットした。R&Bチャートでのヒットで第一位7週間記録。(ビッグママ・ソーントンでwikipediaを詳細参照どうぞ)
そして4年後の1956年にデビューまもないエルヴィスが、このレコーディングにチョット気が進まなかったらしいところが、ご愛敬だったが…。
ルンルンYou Ain`t Nothing Buta Hound Dooo~~g~音符

(エン ナックィンバラ ハウン~ ッ~~グ=アンタは猟犬以外の何モノでもネ~~ンダヨ~~)  トンデモない歌詞のデダシでトンデモない大ヒットを飛ばしたのだ。ビルボードHOT100に第一位11週間大記録を撃ち立ててエルヴィスの独壇場となったロックンロール・チューンなのである。カラオケ

乙女のトキメキ☆リーバー&ストーラーのエルヴィスの為に作り出したオリジナル・チューン☆カラオケラブラブ
⇒〝ハウンド・ドッグ″〝監獄ロック″〝ドント″〝ラヴィング・ユー″〝キング・クレオール″〝ラヴ・ミー″〝カンサス・シティ″

エルヴィスのレコード・デビューの始めは、サン・レコード、そしてすぐにメジャーレコードのRCAに移籍、現在は日本資本のソニー・エンターテイメントの傘下に入っている。その前はRCAビクターと言って日本ビクターの親会社だった、トレード・マークがラッパのある古い蓄音機の前にチョコンと座ってレコードを聴いている白い犬のイラストでおなじみだった。
また以前、日本のラジオ番組で〖 S盤アワー 〗といってビクター・レコードの洋盤レーベルの

DJがエルヴィスをよくかけていた。
R&Bグループのザ・コースターズ、ザ・ドリフターズ⇒〝スモーキー・ジョーズ・カフェ″〝チャーリー・ブラウン″〝サーチン″〝ヤケッティ・ヤック″〝オン・ブロードウェイ″

レッドバード・レコード設立して、ザ・シャングリ-ラスで女の子3人グループ〝リーダー・オブ・ザ・パック(エリー・グリーンウィッチ作曲をプロデュース)″
〝スタンド・バイ・ミー(ベン・Eキング作曲をプロデュース)″他

アメリカ1987年 ロックンロール殿堂入りゆめみる宝石
1994年 ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム(ハリウッド大通り)でスタープレート(記念の星形のプレートが埋め込まれた)、ハリウッド・ロックウォークに(記念の手型がおされて残されている)
☆リーバー&ストーラー☆がアメリカン・ミュージック界で大いにリスペクトされ、授賞となっているものは、この他にも数々ある。