私の故里である高知は台風銀座と言われた事もある、良く台風が上陸や接近する場所であった。
私がまだ未成年者と呼ばれていた頃、台風上陸にあわせて砂浜に大波見学に友人で連れ添って行くのが流行っていた時があり、普段静かな海が猛々しく荒れ狂う様が何か私達の心を奪い、特に夜の大時化は、暗闇の中の波の奏でる迫力ある音響が我々を虜にした。
ある時は、大波が襲う防潮提の先まで走って行ったり、砂浜にある波のぶつかる大岩の上で、プチ絶体絶命感を感じてみたり、危険というものにうかつに近寄りたがる好奇心たっぷりの頃であった。
大時化の中、夜の防潮提を走り抜けて途中のチェーンに気付かず豪快に転んでみたり、思いのほか高い波を受けて濡れてみたりと、小さな事故はあったが若者的群集心理の中、誰も止めようといえない雰囲気があった。
ある日、夜の台風接近とあって仲間ばかり5人で大時化の波打ち際でいつものように悪ふざけしていた。
単にこの大波を見学に来ている人は多く、たくさんのギャラリーの見守る中、我々のスリルに満ちた悪ふざけは続き、楽しそうに見えたのか見知らぬカップルも我々に合流し、波が来てもぎりぎりまで退かない危険な大時化の波うちゲームに興じていた。
その当事、危険なら危険なほど楽しく感じたのは何故だろう?
そうこうしているうち、私は沖に見えていた灯台の光が見えなくなったのに気付いた。
夜なので直前まで迫る波の大きさが判らず、何故灯台がと考えている間もなく、それまでより相当大きな波の音が聞こえ
「でかい、逃げよう!」
と叫んで皆で逃げようとした瞬間、砂浜の形状からか横から回りこんだ波が背後に回ってしまった。
「でかい、逃げよう!」
と叫んで皆で逃げようとした瞬間、砂浜の形状からか横から回りこんだ波が背後に回ってしまった。

そこにいた全員が逃げられない事を悟り、完全にフリーズしたところへ腰近くまでの波が押し寄せ、今にも体を持って行かれそうになり、目の前のカップルの女の子はとっさに男に抱きついた。
私はどうすることも出来ずに立った状態で固まっていたのだが、どうにか体を持って行かれずに波は引き始め、恐怖感が安堵感に変わりながら仲間同士で顔を見合わせたところ4人しかいないのに気付いた。
友人のTの姿が無い。
周りにいたギャラリーが
「さらわれた!」
と叫びながら大急ぎでこちらに近づいて来た。
「さらわれた!」
と叫びながら大急ぎでこちらに近づいて来た。
息を呑みながら引いていく波を見ていると、数十メートル向こうの砂浜に四つんばいになって砂浜を掴んでいるTの姿を見つけたので
「早よう 来い!」
と皆で叫ぶとTは、全力で這い上がって来た。
「早よう 来い!」
と皆で叫ぶとTは、全力で這い上がって来た。
全員揃って怪我の無いのを確認して、やっと我々に本当の安堵感が広がった。
Tの話によると、駄目だと思った瞬間にしゃがんでしまいそのまま身体を持っていかれたらしいが、どうにか足のつくとこで留まったようであった。
相当やばい状況からの帰還であり、引き換えにTの靴と眼鏡と煙草とライターが神に召されてしまったが、命というか危険を身を持って知るには貴重な体験となり、この教訓のお陰で私達は2度とこの危険な遊びをすることはなくなった。
ご存知の方も多いと思うが、波はその性質上、数十本に1回はそれまでの波よりかなり高い波が来ることがあり、砂浜で時々靴を濡らしてしまうのはそのせいで、元々大きな波ならたまに来る1本の大波の高さもそれなりに高いので注意が必要だ。
自画自賛ならず自我自戒的記事である。
・・・おの・・・