昔から通って頂いている人は知っていると思うのだが、私は中学2年の3学期から中学卒業まで韓国のソウル市にある日本人学校に通い、南山(なむさん)というところに住んでいた時期がある。
かといって韓国語がぺらぺらというわけでは全然なく、日本人学校や外人アパートでの生活は基本日本語であり、外人アパートで外国の遊び相手ができれば時々英語、タクシーや商店では最小限の韓国語みたいな雰囲気だったので韓国語は全然話せない。
初めての外国が旅行ではなくいきなり生活だったので、当時はかなり混乱したのを覚えており、何と言っても高知出身の私は、英語や韓国語以前に慣れ親しんだ高知弁を標準語に直すのに結構苦労させられた。
その甲斐があったのかどうか判らないが、就職し転勤族でいろんな地方の人と話をする機会は多いものの、比較的高知弁を抜くのに苦戦する同郷者が多い中、全然苦にならず標準語でも大阪弁でも結構普通にあわせられる特技があったりする。

さて、この前入院して弱気になったというわけでもないのだろうが、中学以来行っていない韓国にどうしても行ってみたくなっている私がいる。
当時住んでいた外人アパートはとっくに取り壊されているし、通っていた日本人学校なんて、私が卒業して数年後に新築移転したものの、その校舎さえ昨年ころに使われなくなって更に新築移転したということであり、現実問題として行ったところで懐かしさを感じる景色があるのかどうか疑問でもある。
建物は変わっても、外人アパートがあった南山という山は今でもあるし、部屋の窓から見えていた漢河(はんがん)という大きな川は今でもしっかり流れている。
更に学校関係者の方から、私が通学していたころの学校の所在地が
漢南洞96-3番地
であり、跡地には
シンサンシティミソビルディング
という建物があるようだというありがたい情報も頂いた。
漢南洞96-3番地
であり、跡地には
シンサンシティミソビルディング
という建物があるようだというありがたい情報も頂いた。
筆不精で、同級生や恩師の誰とも連絡をとっておらず、家族以外に韓国生活の話をする相手はいないのだが、学校はともかく南山外人アパートは検索しても余りヒットしないので、この記事をアップして当時を懐かしむ誰かの検索にヒットして、ブログで数十年ぶりに同級生と対面みたいな事もあったりすれば楽しそうだ。
14歳から15歳の話なので、もし韓国行きが実現したならがば35年ぶりの韓国となる。
※画像は借物だが南山である。
・・・おの・・・