仕事で徹夜明けの眠い夜に、母の訃報が突然病院から届いたことは
 前回の記事前々回の記事
で既に記事にさせていただいた。


とりあえず病院を出て、葬儀会社が用意した会館のような所に移動したのだが、なんせろくに話し合う時間もないことからこれからどうなるのか誰も知らないという状況があった。

葬儀社の人にプランをどうするのか聞かれるのだが、正直母の兄弟は高知でのセレモニーは極力質素にやって東京に連れ帰ってそれなりの供養をしたいと考えており、母も仕事をしていたわけでなくそれほど付き合いが広かったわけでもないので私も同感であった。

親族で見守るだけの通夜と葬儀でと申し入れたものの、そうは言っても、この後を全部自分達でやるとすれば、棺おけだって必要だろうしホームセンターでそんなものを見た事もなく、真夏の炎天下なのでドライアイスも必要なのだろうが大量のドライアイスを買える場所も高知の片田舎では思いつかなかった。

火葬場には、死亡診断書だけでいいのか死亡届とかがいるのだろうかと考えていた時、棺おけと霊柩車と初期の役所の手続きを葬儀社に任せるというところあたりに落ち着いて、やったこともない作業を割り当てられて途方に暮れるようなことからは回避できそうであった。


次に、枕経はという話になって、いろいろやり取りはあったのだが、結論が出そうになかったので
「読経というかお坊さん抜きで2日間を過ごすという方法は無いのですか?」
とかなりイレギュラーな方法を訊ねたところ、質問なのに葬儀社の人が快諾してお坊さんの姿を全く見ないというお通夜が始ることになった。

そうこうしてるうちに、妹達や我家の家族も集合し始め、母の兄弟の2人と母の子ども3人プラス配偶者や子どもなど総勢12人の豪華キャストの晩餐と相成った。

上の妹の子どもと我家の子どもが会うのは数年ぶりで、下の妹の子どもと会うのはなんと初めてだったし、滅多に会うことのない、いとこ同士が顔をあわせて、多くの子どもの口が豪快に食べ物を平らげたり、子供同士がなにやら遊びまわる見た事もない賑やかなお通夜となった。

そして夜も更け、最初はみんなでここに泊まろうと盛り上がっていたのだが、結局近い人は家に帰り、遠い人は母の家とかホテルとかに泊まるという話に流れ始め、なんと結論は私一人が会館に泊り込むことになって、1秒ほど沈黙した後大笑いさせていただいた。

いくら母でも、死者と二人ぼっちでろくに明かりもない田舎にある広い会館で寝るなんて、

















 ・・・

















 ・・・

















 こうぇ~よ



想定外の母と私だけの夜となってしまったが、誰もいないのをいい事に色々母に話しかけては棺おけの方を見てみれば声が聞こえるか多少棺おけが動くのかと期待もしたが、母も私を驚かせたくないのか反応はなく、そうこうしているうちに私は深い眠りについていた。

イメージ 1

友引の夜を北枕で母と過ごした夜が過ぎ、田舎特有のしっとりとした空気の中、明かる朝を迎えた。

母を見れば、エアコンは付いているものの真夏という最悪の季節なので、痛みも激しく顔を何度か拭いてはみたものの、早く焼いてあげたいという気持ちになってしまった。

※説明が遅れたが、私を産んだ母は30年以上前に父と離婚してしまったので、戸籍上の私の母ではない。


 ・・・おの・・・