年がら年中悲惨な事件の報道を目にするような気がする。
中でも親による虐待、先生による児童生徒へのいじめの話など、逃げ場の無い子供が悲劇にあうニュースは見てると大きな嫌悪感を感じてしまうので、良くチャンネルを変えてしまうことがある。
中でも親による虐待、先生による児童生徒へのいじめの話など、逃げ場の無い子供が悲劇にあうニュースは見てると大きな嫌悪感を感じてしまうので、良くチャンネルを変えてしまうことがある。
ブログでも同様、そんな記事にコメントを残せるほどの神経は持っていない。
子供にとって唯一のよりどころの親の虐待に関しては、ニュースなんかを見てしまうと恐ろしいほど深い悲しみが込み上げてくる。

昔から思ってることで、この話をし始めると8割ほどの賛同者と、2割ほどの反論をもらう話題として、死刑の話がある。

昔から思ってることで、この話をし始めると8割ほどの賛同者と、2割ほどの反論をもらう話題として、死刑の話がある。
日本の刑法上、最も重いとグループに位置づけされるこの刑罰がおかしいという議論をする人がいる。
なんとなく言い分を聞いていると、反論できなくなってくる感じがするので、書いている人は私よりは遥かに頭がいい人たちだと思うが、今日はあくまでも私の意見を書かしていただく。
なんとなく言い分を聞いていると、反論できなくなってくる感じがするので、書いている人は私よりは遥かに頭がいい人たちだと思うが、今日はあくまでも私の意見を書かしていただく。
自分の欲望を満たすためだけに、
例えば強盗、例えば強姦、例えば営利目的の誘拐
なんていう犯罪を犯して、何の落ち度も無い人を殺した犯人が死刑になる事がおかしいと考える死刑廃止論みたいなのには大反対だ。
例えば強盗、例えば強姦、例えば営利目的の誘拐
なんていう犯罪を犯して、何の落ち度も無い人を殺した犯人が死刑になる事がおかしいと考える死刑廃止論みたいなのには大反対だ。
多少生まれ育ちに問題があろうが、多少事件後反省をして更正の余地があろうが、そういう人たちは死刑になっても、私はそれは可哀想だとは感じない。
犯罪者と言う人はそもそも生まれてくるものではなく、生まれた後そうなってしまう訳で、私自身も例外ではないのだろうけれども、自分の都合だけで何の落ち度も無い人を殺したのだから、死刑でも致し方ないと考えるのが一般的考え方ではないかと思う。
犯罪者と言う人はそもそも生まれてくるものではなく、生まれた後そうなってしまう訳で、私自身も例外ではないのだろうけれども、自分の都合だけで何の落ち度も無い人を殺したのだから、死刑でも致し方ないと考えるのが一般的考え方ではないかと思う。
死刑廃止論者たちの意見の一部は、
そこに2つ目の死体を並べることに何の意味がある。
反省しているのなら、社会に復帰させて社会参加させたほうが有意義である。
先進国の中でそんな残酷な罰則を科している国は少ない。
とか色々あるようだが、どれも私には全く納得できない。
そこに2つ目の死体を並べることに何の意味がある。
反省しているのなら、社会に復帰させて社会参加させたほうが有意義である。
先進国の中でそんな残酷な罰則を科している国は少ない。
とか色々あるようだが、どれも私には全く納得できない。
原始的な考え方と言われても、人に与えた苦痛と同じ苦痛を与えられるのは最低限的に当然だと感じる。
被害者や被害者の家族の事を考えれば、10数年建てば殺人者が社会復帰できる今の制度は単純におかしいと考えるのは、変わった考え方なのだろうか。
被害者や被害者の家族の事を考えれば、10数年建てば殺人者が社会復帰できる今の制度は単純におかしいと考えるのは、変わった考え方なのだろうか。
自分の子供が理不尽な殺され方をして、一人しか殺してないんで懲役○年が妥当だろうなんて判決を犯人が受けたら、傍聴人席を乗り越えて被告人を刺し殺したい気持ちになると思う。
罰則がどのような高度な理論で決められているか知らないが、殺人と言う社会の最高峰的犯罪に死刑判決が少な過ぎるような気がする。
何があったわけでも無いが、昔からずっとそう思ってるし、飲みながら話してもそれ程否定された事も無いので今日は記事にしてみた。
・・・おの・・・